みなさんは「自己認識」ってどのようにしていますか?
自分をどのような人間だと思っていますか?
よく「自分はダメな人間だ」という自己認識がありますが、
そうした自己認識をもつようになった背景は色々あるのだと思いますが、
そうした人に「もっと自信をもてよ」とか、
「良いところいっぱいあるじゃない」とか言っても
あまり取り合ってもらえません。
なにか自分に自信がないと言う人ほど、
こちらが何か聞いても答えなかったり、笑
話も聞いてもらえなかったり、
それでいて、なんか言うと密かに怒ってたり、
密かに傷ついていたり、、、
最終的にそうした人ほど、プライド高い感じがします。
自分に自信がないというけれども、
ものすごくプライド高い感じがします。
なぜでしょう。
今日の記事はもしかして、「自分に自信がない」と思ってる人を
えぐる記事かもしれませんが、
傷つける意図はないです。
そして、自信がないと思うことに根拠がないことに気づいて欲しい
という意図をもって、書きたいと思います。
昨日、「脳内で見栄を張っていた私」という記事に出会いました。
http://ameblo.jp/katazukeruruko/entry-12219466250.html
この記事には、簡単な計算問題を解くというのをしていたら、
「脳内で見栄を張っていた自分」に気づいた、というのです!!
おもしろいですよね。
そして、すごくないですか?この気づき。
すごいと思いました。
すごい自己想起です。
普通気づけないです。
繰り上がりの計算をする時に、パパパッとひらめくままに数字を書いていました。
それがカッコいいと思っていたみたいなの。
見栄を張っていたみたいなの・・・。
脳内のことなんだから、誰にも見えません。
先生にすら、そんなことは伝わりません。それなのに「私はこんなの暗算で瞬間的にできるのよ」って言いたかったみたい。・・・誰に?
もはやよくわかりません。
そういうやり方で計算していると、一定の割合でミスが出ます。
この記事を紹介してくださった、塾経営してる岡田さんは、
「見栄をはったり、格好つけたりするのは、手抜きなんです。」
とおっしゃいました。
なるほど。なるほど。なるほど。
そこでわたしは、これって、コミュニケーションでもそうだなと思ったのです。
よく「自分に自信がない」という人は一定数いますが、
そういうことを言ってる人と話しをすると、
かならず、
話を途中で聞かなくなる、
話を端折る、耳をふさぐ、
わかりました、とすぐ言う、
本音を言わない、
話し合ってもいないのに「申し訳ございません。」とか言ってくる、
話し合ってもいないのに「私もそう思ってました」とかいう、
こちらは、
いつからそう思ってたのか?
また、なにがどう申し訳ないのか、自分の気持ちを説明しないの?とか思うし、
申し訳ないと本当に思うなら、穴埋めしなよ、とか思うし、
穴埋めもしないで、申し訳ないとか言われても、
どこに本音があるのか、まったくわからない感じがします。
私なら、穴埋めするし、説明するし、食らいつくし、
噛みつくし(←あ、これは余計ね。)
プライドとか見栄とか、かっこよさとか、
コミュニケーションのスマートさなんてかなぐり捨てて、
本音で裸で挑む挑戦に入りますが、
「自分はダメ」って言う人は、けっして、その土俵には乗ってきません。
たぶん、脳内で見えない誰かに格好をつけてるのだと思います。
本音を言ったり、がさつな態度をとってはいけない、って脳内で見栄をはり、
そして最終的にプライド高いんだね、、、と思うような態度を取ることが多々あります。
つまり、それって、脳みその手抜きなんじゃないかな、って思ったのです。
自分をダメと思うのも、自分は凄いって思うのも、
どっちも脳みその手抜きなんじゃないかと思ったのです。
自己というのは、本来、「ダメ」でもないし、
「凄く」もないのです。
自己はそれぞれが、個性的で、ダメも凄いもない。
本当は
その自分の個性や性質をありありと客観視する事が必要です。
それができなければ、
この世という舞台で、自己にどのような役を演じさせるのが適切か、
も理解できないはずです。
しかし
「自分はダメ」「自分は凄い」
という自己認識は、
自己の、その個性を、しっかりと見る事をかっ飛ばして、
手抜きしています。
自己とは
「凄い」とか「ダメ」とかで表現できるような存在ではないのに、
平気でそのような判断や断定をすること自体が、脳の手抜きですよね。
でも、この脳みその手抜きは、
本人は無意識だし、どうしようもないことのように感じていたりすると思います。
自分でコントロールできないとも思ってる気がします。
自信がないものをどうやって、
自信もったらいいかわからないと思っているだろうと思います。
実際、コントロールは簡単ではないんだと思います。
なぜなら、このような手抜きの自己認識は、
おそらく、トラウマと関係しています。
子供の頃のサバイバルと関係しています。
サバイバルにはプライドを死守するという部分があります。
そう、私たちは、プライドを捨てるというのは、
死を意味するに近いので、
プライドは絶対に死守しないとなりません。
「自分はダメ」という自己認識も 「自分は凄い」という自己認識も、
サバイバルに関わる「プライドの死守」と関係していると思います。
つまり、脳内で、目に見えない誰かに対して、
見栄を張ってないとならない。
この見栄を張る相手は、もはや誰かわかりません。
そして、
見栄をはるから、
脳が手抜きをして、
自己認識を「自分はだめ」か「自分はすごい」という
単純化した自己認識へと向かわせるのです。
プライドと手抜きはいつもセットなのです。
自分はダメと言ってる人ほど、その言ってることとは反対に、
かっこいい自分を演出しようとする力も強いです。
プライド高いのです。
だって、プライドの死守のために「自分はダメ」という認識を手に入れたから。
なので、最終的にとてもプライドの高い態度を取ってしまいます。
本当に必要なことは、
かっこいい自分の演出でも、かっこわるい自分を感じることでもなく、
そんな白か黒かでいえるような自己ではなく、
個性豊かな、世界にたった一人しかいない自分の個性を認識すればいいだけです。
もし、その個性豊かな自己を理解できたら、
他人のことも理解できるし、
そして、この世の人が、
みんなそんなすごい優秀な人などいないこともわかるし、
でもみんな豊かな個性を持ってることもわかるし、
その中で自分がただ、豊かな個性を放てば良いだけのこともわかると思います。
この脳の手抜きに喝をいれるのが、
グルジェフの自己想起なんだろうなと思いました。
自分は凄い、とか自分はダメとか単純化した自己認識をしてしまう方は、
何がどう凄いのか、何がどうダメなのか、
一つ一つ紐解くと良いのかもしれません。
手抜きしないで考える必要があります。
また、もともとその脳が手抜きをしないと、
自分のサバイバルに関係したプライドを守り切れないと感じた
そのトラウマ体験を解凍するには
ヒプノが良いだろうなと思いました。
私たちは白とか黒とかじゃないんですよ。
脳に血が通えば、それがわかるはず。