ダブルバインドを発動する人に、周りは支配されていく。

私は最近、本当に自分に正直な人間となった。

時にその姿は、あまりにグロテスクである。

自分の欲望や、闘争心や、嫉妬心。

そうした気持ちをありありと見れるようになった。

そして、表現できるようにもなってきた。

嫌なものは嫌だし、

他人にこうしてほしいという要求をはっきり言ってしまう。

ここ最近、そうしたことが数度あった。

たぶん、相手は傷ついているかもしれないと思う。

なぜなら、その後、一切連絡がなくなったからだ。

相手もハッキリ言われて、嫌だったのだろう。

嫌なものは嫌でいい。

別に喧嘩しているわけでもないし、

憎しみ合っているわけでもない。

「互いにその出来事が嫌だった」のだ。

「嫌だ」という感情が湧いた時、

その感情をよくよく眺めると良い。

何が嫌か、よく観察しないとならない。

多くの場合、その人そのものの魂が嫌なんてことはほとんどの場合ない。

何か「こういわれた」のが嫌だったとか、

「こういう態度」が嫌だったとか、

「自分を理解してもらえなかった」のが嫌だったとか、

互いの行動や感じ方のベクトルの方向性があわなかっただけである。

人はその場面その場面で、表現したい気持ちがある。

感じていることは発露されることを望んでいる。

それをおしこめて、その場面を切り抜けたところで、

その後に実りあるものはなにもない。

ただ、ただ、膿がたまっていくばかりである。

ダブルバインドという心理学用語をご存じだろうか。

ダブルバインドは、自分の思っていることと、行動が違うことをいう。

先日FBで、「コントロールするな!というコントロール」

「批判をしてはいけない!という批判」

「好きにするがいい!という縛り」

などという言葉が飛び交っていた。

これはすべてダブルバインドである。

言いたいことを言わない言えない、遠慮して周りを考慮して、相手の気持ちを考慮して、

なんて場合はたいてい、このダブルバインドの受け皿をつくっている。

怒ってないよ!と言いながら、あきらかにふてくされて怒ってる、

こういう態度をダブルバインドという。

簡単にいえば、思いと行動が一致していないのだ。

小さなダブルバインドは日常的に行われる。

よくよくあることである。

セラピストはカウンセリング中に、

クライエントのダブルバインドは見つけたら必ずチェックしている。

なにか親子関係においての、葛藤が強い事が多いからだ。

苦しいのは本人。酷くなると、統合失調症とかの原因にもなる。

本人が苦しいだけならば、まだいいのだが、

このダブルバインドを、

人の上に立つ立場の人が、発動すると

自然に相手をコントロールしてしまう、という危険がある。

思いと行動が一致していない上司がいると、

自然と周りがその人に振り回されていくのだ。

どういうことか、というと、

好きに話していいと言われたのに、話すと批判されたり、

昨日は良いといわれたのに、今日はダメっぽいとか、

そんな感じのことを日常的に繰り返されると、

人は上司に思考や感情を支配されてしまう。

弱い立場のものは、完全に支配されてしまう。

中でも、「昨日は良いと言われたのに、今日はダメっぽい・・」

なんていうのは最悪のダブルバインドで、

人の潜在意識はそれにとてもに支配されてしまう。

無意識ちゃんは、

「昨日はこれで上司(または親)に良いと言われたのだから、

何か上手くすれば今日も良いと言ってもらえるに違いない」

と思い、

何をどうすればいいか、

あなたの無意識ちゃんは、その事に、全力で解決策を模索する。

また、もとの承認を得ようと必死にあれやこれや、

できることはすべてやろう・・などとケナゲに頑張る。

身も心も潜在意識も、フル回転でその解決策を探す。

そうして、完璧に支配されてしまうのだ。

こうしたことは、ヒプノセラピーをよくよく学んでいる人であれば、

勉強中に出てくることなので、よく熟知している。

多くは親子関係でこの関係にある事が多い。

もともとは親子関係でおこり、

上司と部下の関係でもおこり、

師弟関係などでも起こるだろう。

親、上司、先生などの上の立場の人が、

このダブルバインドを発動しているとき、

それを発見したときは、

よく気を付けないといけない。

あなたは、あなたが意識しないところで、支配されている可能性があるからだ。

あなたの無意識ちゃんが、完全に支配される、

そういう状況が生まれるからだ。

このダブルバインドについては

また詳しく述べていきたいと思う。

最後に、坂爪圭吾さんのツイッターのツイートが美しかったので掲載します。

そう、好きに生きたら、たいてい、周りに迷惑などかけない。

自分に正直に感情に従う事、

また、その感情を眺めて客観視もできること、

この二つが同時にできると、

生きるのはとても楽であるし、周りに迷惑もかけない。

でも我慢したり、自己犠牲的精神でなにかをやれば、

その負の感覚が周りを巻き込んでいく。

湧き上がる感情には、シッカリとした理由があるし、

その理由は、生きるのに付随した欲望の格変化みたいなものであって、

魂そのものへの憎しみだったり悲しみだったりはしない。

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