私は思うのですが、
とても自己肯定感が低く、
自分が完全に悪いとか、
存在そのものが悪いとか思っていると、
例えば、立場の弱い存在、
子供とか
サークルやセミナーの後輩とか、
仕事上の部下とか、
そうした存在に、
とても威圧的な態度をとりがちです。
それは、自分の自尊心をなんとか守ろうとする潜在意識の防衛本能です。
そしてそうした人は、
立場の上の人にはやたらに腰が低いです。
そこまで腰を低くしなくてもいいのではないかと思うほど、低くして、
そしてとてもゴマをすります。
先輩が一番すごい、
部長こそすばらしい、
先生のが一番ですよ、
そんな言葉を常に発します。
本当にそう思ってるかというより、
なんとか自分を認めてもらうことに必死だからです。
この上の存在に認めてもらわないと、
生きていけないというような感覚に支配され、
命がけのゴマすりをするのです。
でも、
こうした人がいくら上司や先輩や先生に認められても、
闇が消えることはありません。
なぜなら、自分の全存在を自分が認めてないからです。
本当は、あなたはそんなことをしなくても、
充分に霊的に優れていて、
この世に二人といない価値ある存在なのです。
しかし、あなたはその価値ある存在だと認めて光を当たられるのは、
上司や先輩や先生だと思い込んでいます。
それは幻想です。
思い込みなのです。
本当にあなたを認めて価値ある存在として光を当てられるのは、
自分なのです。
でも、その自分を認められない。
ああ、なんてこと!
まず、自己を信頼することからはじめないとなりません。
逆に、常に神や天使に囲まれていて、
自分が光の存在だと感じている人は、
自己の重要感を感じてる人は、
自分の闇を見る事ができません。
本当は目を向けなければいけない闇を、
無かったことにしても、
無かったことにはならないのです。
そして、
光をみて
幸せ!
毎日幸福!
すべてに感謝!
と言いながら、
自分の内にある闇が大きくなる不安を抱えて生きなくてはなりません。
それは目に見えないところに追いやってる闇なので、
目に見えなければ見えないほど、闇の恐怖は恐ろしいものとなります。
その闇はあなたが思っている以上に大きく、
大きいからこそ、他人にはそれが透けてみえています。
つづく。(つづくのかよ。)
いいえ、続きません。つづきを書きましょう。(なんだそれは)
まず、自己肯定感が低くて、
つい子供に威圧的態度をとる人は、子供に威圧的態度をとったあとに、
子供に「うわー、お母さん、バカだねー。偉そうだねー、何言っちゃってんだろーねー。」と
言ってください。
子供はほぼ、悪いことはしていません。
まずしてないことに気が付いてください。
もし悪いことをしてるとしたら、
それを教えたのはまず間違いなくあなたです。
子供がいる人は、修行がしやすいです。
自分のほうがエライ、自分のほうが立場が上と、
錯覚させる相手が、つねに家にいるからです。
それが錯覚であることに気が付きましょう。
子供のよりあなたのほうがエライとかは全くの錯覚です。
子供はあなたの持ち物じゃないんですし、
魂的にはあなたより上かもしれません。
天からの授かりものなのです。
そして、あなたはこの子供のお世話をさせてもらっているのです。
この子供のお世話を放棄したならば、間違いなく天罰くだると思ってください。
(なぜなら、あなたは修行する場を失うのですから、その修行する場を失ったことこそが天罰なのです。)
そして、あなたが子供に威圧的に怒るとか、子供をねじ伏せようなどといった、
間違ったことをしたら、
子供にしっかりと謝るということができるようにならないといけません。
本気で土下座するつもりで、
謝ることができなくちゃいけません。
ちゃかしたり、ごまかしたり、威圧的にあやまったりではダメです。
本気で、ガチで謝ることが出来なきゃダメです。
自己肯定感が低いと、子供や目下の人に謝ったりしたら、
自分の存在がなくなるような気がしています。
それは幻想なのです。
幻想だと気が付かないとなりません。
むしろ、それができないうちは、
あなたは子供や部下に、バカにされ続けます。
人に謝ることもできない、ちっさい奴って思われ続けるのです。
心の中で、バカにされているのは、
あなたなんです。
あなたが威圧的であればあるほど、
馬鹿にされています。
ねじ伏せようとすればするほど、バカにされるのです。
しかし、もしあなたが、子供に心から謝ることができたら、
子供はあなたに本当の愛を示してくれます。
愛と尊敬を示してくれるようになります。
あなたに心を開いてくれるようにもなるでしょう。
それができないうちは、
心の奥底で、あなたは馬鹿にされているし、憎まれています。
子供や部下や目下の人に、
ガチで謝れるようになったとき、
心の中のあなたが、あなたを認めることができるようになってきます。
正直に表現できる自分を、自分が認められるようになるのです。
そのとき、
自分で自分に光があてられるようになるのです。
自己肯定感をあげようとおもったら、
目上の人にゴマをするのではなく、
目下の人に、本気で謝ることです。
目上にゴマ、
目下に威圧的、
これが自己肯定感の低さの表れなのですから。