世界はあなたと無関係には存在できない

多くの勘違いは、

物質のほうが現実で、

自分の意識のほうが妄想だと思っているところなんじゃないかと思う。

たぶん、それは逆で、

意識の方が本当の現実で、

物質のほうが幻想なのだ。

悟りを求める人が多く勘違いするのは、

意識を無にすると悟れると思っているところだと思う。

いやいやいやいや、意識が無になることは無いんだよね。

つか本当に意識が無になったら、あなたは存在してないってば。

無になりたいなら、ただ死ねばいいだけなんだよ。

ぐだぐだ言ってないで死ねば?って思う。

(ごめんよ、乱暴で。でもそう思うんだ)

そうではなくて、

物質の方が幻想であって、

物質こそが、実は無であることを理解しないといけないのだと思う。

つまり意識こそが現実で、それを理解するのが本当の悟りなんだと思う。

私はいない、って?

いやいやいやいや、私こそが存在していて、

他はいないのよ。

それはエゴとかじゃない。

世界の純然たる真理なのだと思う。

私だけが存在している、と言ってもいい。

私が存在しているから世界は存在しているのだ。

私がいないならば、世界もないのだ。

「私」という存在を置いて、世界が存在することはないのだ。

エゴというのは、自分の意識に属しているのではなく、

物質に属しているのだと思う。

物質を有ると思うのがエゴなのだ。

そうして、その物質らに影響されて、

自分がその被害者であると思うのがエゴなのだ。

自分がいなくなっても世界は存在している?

いやいや、

自分がいなくなったら、世界は無いんです。

あなたの世界はあなたと無関係には存在できないんです。

あなたがいなくなったら、

世界は無いんですよ。

「無い」という言葉が飛躍しているように感じるのであれば、

あなたは、あなたがいない世界を、

「どう頑張っても体験できない」、と言い換えてもいいです。

どう頑張ってもあなたが体験できない世界は、無いといってもいい。

無いと言っても支障ない。

だって、あなたが体験できない世界は、

無いと同義語なのですから。

それは客観的事実と違うと思う方もいるかもしれません。

いや、客観的事実など、もともと存在しないんです。

世界は、全て、

全ての人の「私」という意識からできていて、

そこに客観性というものは、もともとないんです。

客観的という言葉の定義が必要かもしれませんが、

自分が存在しない後は、世界が存在しないという、事実のほうが、

実は本当の意味で「事実」であって、客観的なのがわかるでしょうか。

その後も存在しているというほうが、妄想なのがわかるでしょうか。

あなたが認識できないものが、

「存在する」と思うほうが、妄想なのですよ。

そこに客観性が存在すると思う方が妄想なのです。

つまり、あなたがいなくなったら、世界は存在しないのです。

だからあなたは、最後の最後まで世界が終わるまで、

「自分」という意識をしっかり握っていないとならない。

その意識しか、この世界を世界たらしめることはできないからです。

間違っても、「私はいない」などと思ってはいけないのです。

それは激しい妄想であります。

あなたはいるんだよ!

それこそが事実で、それこそが真実だ!

そして、そこから全てがはじまるのさ!!

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