昨日は夜中にオットに足を踏まれ(爆)
踏まれただけではすまず、
「ここに足を出してる奴が悪い」と怒られた谷原です。
おはようございます。爆
昨日の昼間には母に
「お前の責任だ」といわれ、
気持が荒みました。爆
それは自分ではないと自分では思い、
絶対にそれは認めたくないと思うことも、
他人からいわれて自分の耳に入った時には、
間違いなく、それは自分の事なのだと思います。
昨日のメッセージは、
「自分が悪くて、自分の責任である」
つまり
痛い目に合うのは自分が悪いという事。
全部の責任は私が取るということ。
だと思います。
じゃぁ、どうしたらいいの?
まず痛い目に合いたくないなら、足は出さないことだし(爆)
全部の責任を自分が引き受けるのだと、固く思う事が重要だと思いました。
こんな話しを読んだことがあります。
ある社長さんが、震災があった時、
普通は社員の安否とかを気にする中、
その社長さんは、会社の倉庫の在庫が壊れたりしてないか、
倉庫がどうなったかを一番に気にしたそうです。
社長は社員の安否よりも、
倉庫の在庫がどうなったかのほうが重要。
これ当たり前なんですね。
在庫が壊れるなり無くなるなりしたら、
それだけダイレクトに会社の損失はデカいわけです。
大きな損失は、会社の利益を減らし、
利益が減れば、社員を養うことができません。
まわりまわって社員を不幸にするわけです。
つまり、社長は社員全員の未来に、責任を持っているわけです。
もし、社長が、「人間的に素晴らしい人であると思われたい」などと思っていたら、
まず社員の安否の心配をするだろうと思います。
在庫なんかどうでもいいからみんな生きていればいい、
みたいな発想をするでしょう。
そして、そのほうが人間的に素晴らしいみたいな気がするでしょう?
でも、そんな発想で、本当に社員を幸せにできるでしょうか。
会社がつぶれれば、社員全体の不幸を招きます。
社員には家族がいて、その社員の子供たちの将来までかかってきます。
社員の安否よりも、在庫がどうなって、これからどうしたらいいか、
そこにこそ社長の責任があるわけです。
そして、その自覚こそが、社員とその家族の将来への責任ある行動となるのです。
つまりね、社員の安否を気にする社長より、
倉庫の確認をする社長のほうが、
愛が深く、責任感が強い、ということです。
私も、そうした高い視点での責任を負っていく覚悟が必要だって思いました。
身近な人に良い顔したりするのは、
良い人って思われたいという小さな気持ちでしかないのです。
責任というのはそういうことなのだと思います。