下ネタは世界を救うのではないかという考察

前から少し変だなーと疑問に思っていることがある。

それは、下ネタをすべてセクハラとして

めっちゃ弾圧する風潮についてだ。

下ネタを言うというのはセクハラなんだろうか、という疑問だ。

下ネタをいうのは、別に暴力を振るっているわけではない。

また、相手をバカにしているとかでもないんじゃなかなと思う。

「個人的に楽しく盛り上がっている状態」というのが正しい表現かと思う。

もちろん、聞かされて嫌だと思う人がいてもいい。

そして、嫌ならば嫌と言えば言いだけのことだ。

セクハラという言葉は、

相手が上司だったりすると「嫌」とも言えない人を守るために

生まれたのだろうと思うのだが、

きっと、その人は、それが対下ネタでなくとも、

いろんな場面で「言えない」ことで苦労するはずだ。

まずは、自分のその「言えない」を対峙することのが先じゃなかろうか。

下ネタだろうが、そうじゃなかろうが、何かいわれれば言えないんだろうから。

私のお友達に、いつも下ネタを言っている、可愛い女性がいる。

女性なので、愛すべき存在として君臨している。

そして「エロスは世界を救う」とまで皆から言われている。

ここで思う。

可愛い女性が言えば、それは救世主としてあつかわれ、

おじさんがいうと、セクハラと言われるのは、

おかしくないか!?

おじさんだって救世主と違うんか。

今、セックスレスの家庭は多い。

子供を作らない夫婦も多い。

そして、結婚しない人も多い。

なぜ、そんなに我々日本人は性を忌み嫌うようになったのだろう。

それは、

おじさんの下ネタが許容できなくなってから・・・ではないかと私は思うのだ。

おじさんが少しでも下ネタをいえば、セクハラといわれ、

左遷されたり、会社を辞めさせられたり、

が平気で行われるようになった。

そういう事例が出てきてから、

誰かがちょっとでも下ネタを言おうものならば、

セクハラ!!!!と糾弾し、

相手を窮地におとしめ、

社会的に弾圧することまでされるようになってきた。

そして、「性なんか知りません。それうまいの?」みたいな

去勢された男性だけが評価されるようになったのだ。

つまり性とは気持ち悪いもの、というレッテルを社会全体が貼り付けたのだ。

つまり性とは気持ち悪いもの、という集団圧力によって、集団同調によって、

洗脳されたのだ!!!

我々は洗脳された!

おじさんが性を口にした瞬間に、社会的弾圧を加えることによって、洗脳に成功した。

そして、その結果、

性とは気持ち悪いもの、と我々の集合無意識にまで入り込んだ結果、

セックスレスの夫婦が増え、

少子化を促し、

結婚しない人も増やしたのだと思う。

なんか、おかしくないか?と思うのだ。

下ネタをいって、笑う、みたいな風土がなければ、

性はただただ、気持ち悪いものとなっていく。

そんなふうに、してよかったのか?

おそらく、元はアメリカだとかヨーロッパだとかの

ノーブルな習慣から、セクハラという概念が日本に渡来したのだと思うのだが、

西洋人はもともとスキンシップの国であり、

つねに必要以上に、ハグしたりキスしたりする国なのだ。

テレビでも司会者と一般の視聴者が、番組にやってきて、普通に

口と口でキスしているじゃないか。

今あったばかりの人とそんなことができる文化なのだ。

それと日本とは違う。絶対に違う。

ありえないくらい違う。

ありえないくらい違う。

ありえないくらい違うぞ!!!

それだけとっても、アメリカ人のセクハラといえば、度が違うだろうと思う。

スペインに住んでた時は、ヌーディストのチームが

全員スッパで、男女入り乱れて、自転車で街を走ってた!!

舞踊祭では、トップレスの女性ダンサーチームが集団で街の中で踊ってた!

おじさんたちが、みんな写真とってた。爆

そんなお国柄でセクハラってすごい度が違うものだとわかるだろう。

日本人は、

下ネタをいって、笑う、みたいな風土がなければ、

性はただただ、気持ち悪いものとなっていく。

下ネタをいうおじさんこそが、実は今の世に必要ではないか!!

こうした、集団圧力、

同調圧力、

日本人は、そんなものにすぐ転がされてしまう。

そして、セクハラという名前を貰ったとたんに、

その概念を集合無意識にまで落とし込んでしまう。

洗脳されやすい。

やすすぎる。

やすすぎるぞ!!!

そんな洗脳から目覚めようではないか。

本当に今の私たちに、必要なものは何か。

それは性を忌み嫌わない社会なのだ。

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