NY様の体験記です。
私が谷原さんのセラピーを受けようと思ったきっかけは、「自分は何かがしたい、できる」「でも、こんな私なんか何もできるはずがない」「でもでも・・・!」という思いが去年後半から強くなり、楽しげなことをイメージしては、地に足がついてないように思えて周りの目を気にしたり自己否定したりの繰り返しが苦しくなってきたので、「自分の核」のヒントでも見つけられればと思い、今日に至りました。
セッションに入ると、やはり緊張はしました。
もっと夢見心地になるものだと思っていましたがちっともそうならず、「お母さんのおなかの中にいる感覚」もあんまりよくわからず、でも、おなかから出てきたときの母親の表情は見届けられたような気がしました。
はるか昔に戻るときも高速道路に乗ってる感じのイメージで、昔なんか行けるのだろうかと思ったのに、谷原さんから声をかけられると景色がばーっと広がり、「そこで何をしているのですか?」「遠くの丘を見てます」「どんな丘ですか?」「風が吹いてきてます」「行ってみませんか?」「・・・遠くて、なかなか・・・」と、ここで不思議に涙が出てきました。
私は10歳くらいのヨーロッパに住むはるかはるか昔の少年・ピーター(!)でしたが、「なぜ行けないのですか?」と聞かれて「もう戻ってこれないような気がするから」と答えるのがつらいほど悲しかったのです。
「そのままおうちに戻ってみましょう」と言われて、はて、家なんてどこにあるか知らない・・と思いながらも、なんとなく湧いたイメージの中にはちゃんと自分のほかに家族もいて、そして特に貧乏すぎることもなく、でも特別楽しそうでもなく、そしてその後青年に成長していっても、淡々と自分の役割をこなす日々というイメージが続きました。
結婚をしていても特別楽しそうでもなかったのが残念でした(笑)
そして23歳くらいまで成長したら、私は丘の向こうの森と湖の境にいて、船を出してこのまま行ってしまおうか、迷ってる姿。
「行ってみませんか?」「でも、すべて捨てることになるから行けません。戻ってこれなくなるかもしれないし」と、まだ迷っています。
いったん、谷原さんのお声掛けで家に戻ると、小さな2人の子どもが寝てました。
幸せそうだけど、丘の向こうと湖の向こうを知ってしまったピーターは満たされないような表情でもありました。
谷原さんはそのあと一気に晩年のピーターまで連れて行ってくれました。
どうやらその後のピーターは、湖を出て船で航海の経験もできたようでした。
「どこに行っても自分のいる世界は自分のものだ」「海に境界線などない」
ピーターが心から感じ取った体験なのか、そんなメッセージが繰り返し私に届きました。
ピーターよりもっと高い視点から鳥のようにピーターの航海の航路を見てみると、大海原に出たと思ったピーターは、実はそれほど大きくない範囲を航海したにすぎませんでした。でも、なんにもしないよりは、その大冒険ができたことで充実した人生を終えることができた。ピーターの葛藤の先の冒険を知ってしまった現実の私は、「自分は夢を閉じ込めて、小さい世界で満足してたらいいんだ」などと言い聞かせることはもうできないと思いました。
そのあと見たイメージでは、川の向こうに教会があって、アルファベットのRみたいな、記号みたいな形のガイド様と一緒にそこに行ってみたのですが、そこは司祭さんもみんなで歌った合唱の様子も魅力的で、現実のことやもの、いろいろすべていったん置いてきてでも、そこにずっといたいと思えました。
そのイメージを抱いたまま今の職場のイメージに移動したときは、忙しそうなみんなを手伝ったりしたら、教会が幻と化して消えてしまう気がしてまた泣けてきたのですが、谷原さんに「教会は消えません。いつでもあなたの胸の中にある。いつでも行ける」となだめてもらったら、心にキラキラした教会を抱えたまま、普段通り仕事している自分がイメージできました。
すべて創作のような、自分が無理やりひねり出したイメージのような気もしますが、でも「境界線はないんだよ」という悟りみたいな声とか、「丘に行けない・・」といったあきらめの悲しい気持ちとか、どこかから自然に湧いてくるような具体的な感情もありました。
それに、「怖くて行けない」と思っていても、谷原さんの合図に乗って「えいっ」と行ってみると、なんだ、案外どこにでも行ってみれるんだと思ったりもして、現実の私は何をそんなに怖がっているんだろうと、ずいぶん気が楽になりました。
ガイドさんのところにも、イメージした教会にも、これからもいつでも行ってみることができますよ、という谷原さんのお言葉はとても心強かったです。
それこそが「核」になりうる何かなんだろうと、帰ってきて数時間たった今、じわじわと思えてきています。
NY様、ありがとうございました。
是非、セッションに入ったら、緊張せずにリラックスしてほしいと思います。
この身体を眠らせる、感覚から離れるということが大切です。
この肉体を眠らせて、もう一つの身体であるエーテル体にスイッチを入れてほしいからです。
自分の核は、この肉体の中にあるわけでも、この現実の中にあるわけでもありません。
それは一人ひとりのハートの中に、自分の中の宇宙にあるわけです。
そこは非物質界です。ここに自分の核を作らなくてはならないのだと思います。
非物質領域というのは、肉体で感じるものではないので、
この非物質界を感じ取る、掴み取るというのは、ある程度、訓練です。
でも、それは妄想ではないです。というか、もしそれが妄想であるならば、この世も妄想なんですよね。
今、このブログを読んでる誰もが、死んだらその世界に行くのです。
あと100年もしたら、今これを読んでる人、全員、確実にこの世にいません。
死ぬのはそんなに先ではないですよね。
あの世に行ったら、この肉体で見たり感じたりしないのがふつうですよね。
それってどういう世界でしょうか。妄想ですか? いや、妄想ではない、その時はそれがリアルなハズです。
その時には、この領域に築きあげてきた自分の核がとても大切です。
その時に是非迷わないためにも、是非ともこの非物質界での感覚を養い、ここに核を築いてみてはどうでしょうか。
昨日のブログでお話しした、スピリチュアルな人がいうグラウディングの話ですが、
そのグラウディング、という言葉がどういうものを意味してるのかよくわかりませんが、
もしグラウディングするなら、エーテル体的にグラウディングすべきではないでしょうか。
エーテル体的グラウディングというのは、非物質界にきちんと着地するということです。
曖昧で妄想と思われる領域に、きちんと着地してもらいたいと思います。
チャクラは見えないエーテル体ボディですよね。
それが一番に発揮される場面は非物質界であって当然です。
ファースト・チャクラ(ムラダーラ・チャクラ)をきちんと非物質界で使ってもらいたいです。
非物質界で、歩き、食べ、活動すべきではないでしょうか!!
いまこそ、ムラダーラ・チャクラを非物質界で発動せよ! でございます。