とくに書くことがないんですが、一応ブログ経営学としては毎日更新というのが基本らしいよ。なので、仕事みたく毎日更新することを心掛けているのですが、まぁ、そんな規則は打ち捨ててしまえ。とか思ったりしつつも意外に忠実に守ろうとしてみたり、いやいや、そんな世間のルールに従う事はないさ、なんて考えたりするものだから、結局はどっちつかずの中途半端なブログと化すのである。
先日頂いたメールにヒプノを受けてみたいのは谷原のブログが面白いからなんて書いてあって、それはとても嬉しいコメントであった。時々、そういうご指摘を頂いて、それはとても嬉しいのだが、何がどう面白いのか自分では良くわかっていない部分がある。でも、豚もおだてりゃ・・的に、じゃぁ、木に登ってみようと思う私であった。
最近アイソレーションタンクに入った。
あの中に浮いてると、いろんなツッコミ人格が現れては消え、現れては消え、ま、しょうがないか、入ったんだしな、みたいな妙な悟りを感じるのである。そのツッコミは「なんすか、これは。」「え、ここに90分もじっとしてなくちゃいけないんですか?」「これ、なんの罰ゲーム?」とか「子供の頃に入れられたお仕置き部屋の大人版」とかそんなツッコミである。いやいやいや、入るときはわくわくして入るのだ。自らお金を払って入るのである。「きょうはどんな体験ができるだろう」とそりゃぁわくわくしてはいるのだ。しかし30分も過ぎたあたりから、「で、それで、どうなのこれ。」とか「なんか暇だなぁ」とか思うのだ。まぁ、刺激的な毎日になれすぎている私たちとしては、五感を閉ざして、そこに「いる」というのは暇なのだ。暇すぎる。しかしこの暇すぎる・・という状態が、次の状態へのステップなのだということを、私は2回目にタンクに入った時に感じたことだ。
暇すぎて、脳が飽きてきて、「なんか面白いことはないのか、こら」なんて思い始めたころが、次の段階で、その次になんだかとっても面白い鮮やかなビジョン体験をしたのだった。どんな体験・・・とここに書いてもたぶん、人には面白くないと思うし、面白くかけそうにないので、ここには書かない。
しかし、暇すぎて面白くないなぁ、なんていう状態は次のステップに入るにはすごくいいのだ、ということを体をもって体感する。人生にもよくそういうことがある。なんだか、この人生暇すぎないか?という状態を体験することがある。その暇すぎる、、もっと何か刺激がほしい気がする・・というその状態は次へのステップに入るのにとても大切だ。
この「暇すぎる体験」をタンクは提供してくれる。強制的に「暇」になれるのだ。そして、この「暇」な時間がいかに自分にかけているか、ということを身をもって体験するのである。
今度タンクに入るときは、暇すぎて、どうしようもない時間帯を延々と体験したいと思うのである。このどうにもならないほどの「暇」時間は、かならず、次に現れる、色鮮やかなわくわく、と連動している。でもそれを期待して入ってはいけない。ここがポイントだ。タンクの中でわくわくがなくても、それはいづれ、わくわく時間へと繋がると思って、タンクの中では「死ぬほど暇」を体験するがいいと思うのだ。
その「死ぬほど暇」体験が脳に与える効果は、たぶん人知を超えている気がするのであった。