した、された、の世界から抜け出よ!

私は今、この11月を、
勝手に浄化期間と定めています。

みなさんは自分の浄化方法を知っていますか?

自分なりの浄化方法を会得しておくと
生きるのが楽になりますよ~。

特にスピリチュアルワーカーやカウンセリングする仕事の人は、
自分のクリアリング・センタリングは絶対に必要だと思います。

私達がいろんな悩みや苦しみの原因となるのは、
ほとんどが潜在意識にしまいこまれた、
恐怖や怒りや悲しみのせいであることが多いです。

潜在意識にしまいこまれていますから、
簡単には気が付きません。

いや、私、
ぜんぜん怒ってないしー とか、
ぜんぜん悲しくないしー とか、

思っていると思います。

でも、この、本人が気が付いてない・・・という事こそが、
苦しみの原因なのです。
気が付いていない時こそ、
ものすごくそれに振り回されています。

シュタイナーの意見では、
高次の世界に入るには、
まず第1段階「思考作業」の強化でした。
明晰な論理的思考が必要です、ということです。

次の第2段階は「判断尺度の排除」と「肯定的受容」というのが必要になります。

ジャッジせずに、受け入れるということです。

おおおおーきたねー。笑

これはカウンセリングの学校にはいると、嫌というほど叩き込まれます。
私は産業カウンセラーの学校に1年いたので、
これは文字道理、叩き込まれました。

でも、これが実際にできる人は一握りの人ではないかという気がしました。

つまり、これ、さっきの話と繋がるのです。

ぜんぜん受け入れてるしー、
ぜんぜん認めてるしー、

って表面で取り繕っても、
内面ではまったく受け入れてないという事が多々起きるのです。

その場合、どんなに受け入れているフリをしても、
カウンセラーが受け入れてないのは滲みでます。

受け入れるというのは、
そんな表面的なものではないんですね。

潜在意識の中に怒りや悲しみ、他者否定感、自己否定感がある限り、
他人を受容することはありえないのですよ。

そして、そうした高度なことが、
カウンセリングの場では要求されているのです。

この時、相手の何を受容するのでしょうか。

それは相手の性格とか人格を受容するのとは違います。

相手の中にある魂へ敬意を払えるか、
相手の中に神をみれるかどうか、ということにかかっていると
私は思っています。

相手の中に神をみるというのは、
相手に振り回されることでも、
相手の意向に沿う事でもありません。

相手の中に神を見れる人は、
自分の中にも神を見れます。

そうしたときには、
相手の意向に沿わなくても、
ジャッジしない、肯定する、ができるのです。

よくここは、取り間違えている人が多々いる気がします。

肯定とは別に相手の意向に沿う事ではありませんよ。
人を喜ばせることでもないです。

ジャッジしない、も、
相手の性格とか人格とかジャッジしてもいいんです。爆 
(いいのか? ←いいんです!。爆)
そんな表面的なところはどうでもいいんです。

本当の意味でジャッジしないというのは、
もっとその人の存在そのものへの敬意というものだと思います。

それはどんなことをしたかとか、されたかとかではないです。

した、された、の世界ではないんです。

そこから抜け出ない限り、ジャッジしない&肯定する、という
高次の世界にいたる第2段階へと上がれないです。

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コメント

  1. 匿名 より:

    谷原さま

    初めてメールしてをさせて頂きます。
    すごーい何か~なっとくしてます私…(笑)
    本物の人に会えたーと心から感じました!

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