被害妄想と老人

昨日は、夜に母が救急車で運ばれて、
病院について検査を受けたら、

特にどこにも異常はありませんとかで、

なんだか、糞ムカついた私でございます。(爆)

「背中が痛くてどうしようもないのよぉおお!」と言っていますが、

自分で歩いて帰ってこれるじゃんか、みたいな。爆爆

母の被害妄想の凄さというのは

子供の頃からすさまじいものがあって、

母のチャートは月冥王90度で、
その月がわたしと同じところにあるんですね。
牡羊座の終わりの方です。

この90度の冥王星を誰がやるのかって、

ほとんどの場合、
母自身の被害妄想がもたらしているという気がします。

私が自分の外においやってる被害妄想を
母が演じているといえばそうかもしれませんし、
そうじゃないのかもしれませんし、

よくわからないですが、

とてもなんだか、ムカついて、

そこまでして、子供の手を煩わせたいのかとかいう、

「被害妄想返し的怨念」を抱きます。

 
人は良く生きるのも大変かもしれないけれども、

良く死ぬのはもっと大変なんじゃないでしょうか。

思い残すものがあればあるほど、

無念な気持ち、満ち足りない気持ちがあればあるほど、

自足せずに周りに多大に迷惑をかけていく。

周りからなんとしても得ようとする。

満たされない思いをうめるという行為を
老人になってからやろうとすると、

できるだけボケて周囲の手を煩わせるとか、
そうして自分を世話させて満たそうとしたりとか、

そうした潜在意識の暴走が激しいだけに、

それに周囲は振り回されていきますね。

死ぬって、強烈なジャンプです。簡単ではないです。

そうはいっても自然の力は強引に、

肉体から魂を引きはがすわけです。

子供を数人産むと、
自ら生まれようとする力がある子供と、
イヤイヤながら生まれてくる子供と、
産んでいてわかる。

いやいや産まれる子供は、
産む方も大変。
無理やり産まなくちゃならないので、
結構大変です。

でも自ら産まれようという気持ちがある子供は、
特に何もしなくても勝手に産まれてくる。
お産はラクです。

きっと死ぬのも同じじゃないでしょうか。

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