ヒプノと占いは違う?チャンチャラオカシイ。

よく、心理学系の記事とか、
ヒプノセラピストさんのブログとかに、
「ヒプノは占いとは違います!」と声高に言ってる人を目にする。
私の行っていたヒプノスクールでは事例検討みたいな形で、
「私は、ある占い師さんにヒプノセラピストになったらいいと言われたので、
ヒプノセラピストになろうと思うのですが、その前にいちどヒプノを受けにきました。」
とかいう例がある。
解答としては、
「占いとヒプノは全く違うということをきちんと説明せよ」
みたいな話だ。なんだそれ。ウケる。
確かにヒプノと占いはやってることが全然違う。
だからなんだというのだろう。
比較する意味がわからない。
そして、この占い蔑視みたいな、この風潮はなんなんだと思う。
まずはそんなことして、
他をけなしてヒプノの風格をあげようという試みが姑息すぎる。
よくそういう試みをする人が多い。
○○とは違います!とそう言えば自分の格調があがるとでも思っているのだろう。
他をケナシて自分がいかにもっと素晴らしいかを説得するやり方だ。
よく選挙で使われる手法だ。
だいたい、占いとは違うという人は占いの何を知っているのだろうと疑問を感じる。
たいして知らないくせに占いとは違うとかノタマウ時点でその人の人格と能力を疑う。
そのような状態で人間の心理を扱うことができるわけがない。
占星術を勉強したことがある人ならわかるだろう。
占星術というのは、360度の視点を獲得するツールなのだ。
それは、ぼんやりと普通に人生を生きていたら決して手にすることができない高次の視点なのだ。
その深淵さを理解したら、
占いとは違うとか言ったその無知さ加減を相当に後悔するだろう。
占星術を知らない人は先日春分を迎えたことがわたしたち人類にどのような作用があったかも理解していないだろう。
今が、地球がどういう時期なのかも知らないだろう。
自分が、自分という存在がどういう天体配置でこの世に生まれてきたかもしれないだろう。
あなたの人生がどこへ向かおうとしているかも知らないだろう。
それは盲目的に人生を生きているも同然なのだ。
占星術を勉強したならば、
自分が当たり前と思っているその視点が実はある一点の視点でしかないことを知るだろう。
人には様々な視点があるのだということを、ホロスコープを理解したときに、
もっと痛烈に体感認識するはずだ。
そんな視点があることも知らずにヒプノだの心理だのよく語れるものだと思う。
とりあえずは自分をとりまく360度の視点があるのを理解せねばならない。
ほとんどの人がその視点にすら気がついていない。
高次の視点を獲得するには占星術を勉強するべきだと思う。
心理学やカウンセリングをしようと思う人ならば、
誰かの話を聞く機会がある人ならば、
占星術を勉強するともっと人の話が理解できるだろう。
そして、その時、初めて自分の視点がとても小さく低かったことに気がつくだろう。

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