「自分の前に電車が来たら、待ってる人が来なくても、
その電車に乗って次の場所に行かなければならない」
という夢を今朝みた。さっきまで見てた。
不思議に「へぇ、そうなんだ」という腑に落ちた感があった。
何かしたいと思ったら、
自分がそれをするのに必要な出会いとか人材とかは、
すでに出会っていると私は思っている。
よく「自分をもっと引き揚げてくれる人と出会えないだろうか」とか、
「自分と組んでくれる人と出会えないだろうか」とか、
そうした言葉を発する人がいるが、
「いやいやいや、あなたを引き揚げてくれる人は、すでにあなたの周りにいるはずだ」と私は思うのだ。
そのあなたの周りの人を大切にするなり、頼るなり、何かお願いするなりして、
自分の希望をかなえていかなければならない。
しかし自分の出会いに感謝がなければ、
そうした人にすでに出会っていることに、気がつけないだろう。
もし周りの人が本当に協力してくれないのであれば、
それは自分が間違ってるか、頼んだ相手を間違ったか、、、
考えられるのはその二つくらいだろうか。
しかし、それならば、自分ひとりでやるしかない。
自分の目的が、そのやりたいことである以上、
別に周りの協力が得られるかどうかは、副次的なことだし、
目標は、ずっと逃げも隠れもせずに、そこであなたを待っているはずなのだ。
だから、目の前に電車が来たら、乗らなくてはいけない。
待っている人が来なくても、
あなたはその次の場所に行かなければならないのだ。
出会いに感謝とはなんだろう。
私は昔、ある有能な霊能者にであったことがある。
その人は ご自分が有能な霊能者だということを、
自分が信頼している人にしか教えなかった。
私は、その人に出会って、自分の信念体系が崩壊した。
感銘を受けたのだ。
そこから私は次の人生の幕開けが始まったと思っている。
私はその人にとても感動したものだから、
誰かにそのすばらしさを伝えたいと思って、
いつも普段から困っている自分の友人に、
その人の話しをして、
相談したらどうだろう、と言った。
そして、その霊能者の人にも、相談に乗ってくれないか?と言った。
すると、その霊能者の人は、「それは違うよ」と軽く断ってきた。
私はその時にハッとした。
そして、啓示をうけた。
その啓示とはこうだった。
「ああ、私は出会いに感謝が足りなかった。
この霊能者の人と私が出会ったのは、
私の出会いであって、私に与えられたチャンスであって、
そのことに私は感謝が足りなかったのだ。
だから、いとも簡単に他の人に紹介したりするのだ。」
もし、この霊能者の人が、一般公募してるならば違うと思う。
けれども、この人はそうじゃなかった。
自分の縁があった人にだけ、その才能を公表しているのであって、
その縁を大切にする、その出会いに本当に感謝するならば、
安易に人を紹介したりはできないものなのだ、
と私は悟ったのである。
そう、待っている人が来なくても、
電車がきたら、次の場所に行かねばならないのだ。
それはあなたに与えられたチャンスと縁だからだ。