はーい。今日も新しい朝がやってまいりました。
今日も生まれかわったかい!?ベイビー。
眠るというのは、
自分の音を変えるのに、すっげーいいなーって思います。
音を変えるってなんじゃらほい、なんだけど、
音は音だよ、ちみ!
音をね~、変えたいだろ~?
寝る前に音を変えるってセットして、寝るのは良いなーと。
他人って変えられないじゃない?
だからそのまま受容することが大事って思うじゃない?
変えようってこと自体がコントロールだし、
そういう他人コントロールって嫌だなって思うじゃない?
なんだけど、
そうなんだけど、
それって、自分がすでに他人をコントロールしてることを知らないから
そう思うんだと思う。爆
子供の態度とかオットの態度とか、
もうすでに自分でコントロールしちゃってるじゃん?爆爆
子供が切れやすいとか、
夫が優柔不断とかって、
単に自分が切れやすい面を持ってたり、自分が優柔不断だったりするから、
その自分を夫や子供が演じてくれちゃってるだけで、
ようするに自分がコントロールしてるんですよー。
でね、すでにコントロールしてる他人を、
「そのままうけいれよう」
って考え方って、
なんか、おかしくないかなって。爆
ただの自己正当化とちゃうん?って。笑
だって、すでにコントロールしちゃってるし。爆
他人をそのまま受容ってのは、
このすでにコントロールしちゃってることに
目をつぶって、見なかった事にして、
つまり、それって自分がコントロールしてることにシャッター降ろしてるだけ。爆爆
うゎーいてーな! おれがな!
相手の態度を引きだしてるのって、間違いなく自分だからねー。
自分を責めるとかじゃなくてさ。
自分を責めるってのも、さらに複雑に他人コントロールへの道に迷い込んでるからね。
罪悪感も実は他人コントロールなんだと知らないと。
本気で受容するなら、
自分を受け入れることからしないとだね。
それにはさ、自分の中の優柔不断とかを、どうしたいのか考えたほうがいいと思うんよ。
そのままでいいやってのも一つの道やし、
そしたら旦那はいつまでも優柔不断やろーけど、
それでもいいやってならば、それも一つの生き方やと思う。
だけど、旦那を優柔不断にしてるのは自分やと、わからないとね。
もし、家族や周囲の人の人生を本気で応援したいなら、
自己改革が必要になるよねって話し。