結婚もそうなんですが、
子育ても、
世間一般の常識とか、流れとかは、
小耳に挟みつつ、
最終目的地といいますか、
ここにたどり着きたいねん、という「ここ」を
見失わないようにしていくと、
いいんだと思います。
猫とかって、「ここの上には登らんといて」というと、
絶対に登ろうとします。笑
うちとか、猫がよくグランドピアノの上に上がって、
弦をがりがりすることがあります。
それは絶対にやられたくなくて、
ピアノの上にあがると、私が鋭く反応し、
猫をピアノから降ろします。
すると、猫は気に入らないことがあると、
ピアノの上にあがり弦をがりがりやるんです。笑
私が鋭く反応するのがわかってますから、
わざわざやります。
すると、
猫と私とピアノをめぐる冒険が始まってしまう。
これ、子育てとかも同じと思うんですわ。
「おれが学校に行きたくないというと、オカンが異様に反応するねん。」
みたいなことを子供は数度体験したとします。
子供はそこを無意識にストックします。(潜在意識でキャッチ)
すると
何か気に入らないこと、何か抗議したいこと、
何か自己主張したいことがあると、
学校に行きたくないと思う、言う、行動する、
そうすると、子供と私と学校をめぐる冒険が始まっちゃうわけです。
猫をピアノの上に上げたくなければ、
ピアノの上にあがっても、反応しないことです。
反応しなければ、そのうち猫はピアノの上にあがらなくなります。
子供も同じ。
何か自分の言動や行動で、親がいつも以上のするどい反応を見せたことを
子供は素早く拾い上げて、
それを無意識にやろうとしてしまう。
でも、本当に、子供や猫がしたいことは、
学校をめぐる冒険でもピアノをめぐる冒険でもないんです。
本当にしたいことはそこではないんですね。
なので、親とか、セラピストとかも同じなのですが、
子供や猫の、本当の抗議や意見や気持ちのほうを汲み取る必要があります。
そこを無視すると、
親や飼い主の鋭い反応をする出来事を捕まえようと待ち構えるようになり、
本当の抗議や意見や気持ちが何か、もうすっかり忘れて、
猫と私とピアノをめぐる冒険にはまり込んだり、
子供と私と学校をめぐる冒険にはまり込んだりしてしまいます。
何度も言いますが、
おそらく、まちがいなく、
主旨はそこにはないのです。
主旨がどこか理解するには、
まず、
相手に対し、
するどい反応をしないようにする必要があるんだと思います。
「これはやらないでちょうだい」という反応こそ、
相手は待ち構えていたりします。
「何をしてもOKだよ」という状態になって、
はじめて、無駄な反応を相手から引き出す必要がなくなってこそ、
本音と本心が出てくる。
これは意外と自分自身もそうだったりしますね。
自分も自分の真意とか本音とか、どこかでわからなくなることが多いのです。
「いや、自分のことは自分が一番良く知ってる!」って思う人は多いかもしれませんが、
ところがどっこい。
無意識ちゃんは、アッ!と驚くようなことを、感じたり思ったりしています。
ピアノをめぐる冒険や、学校をめぐる冒険にはまり込んだときには、
何が主旨だったかわからなくなるものです。
これは自分自身の潜在意識の中でも、いつでも起こること。
怒ってるけど、何に怒ってるのかわからない。
悲しんでるけど、何に悲しんでるのかわからない。
だから怒ってる案件も、悲しんでる案件も、
一件片付いても、次の案件がでてくる。
同じパターンを繰り返す。
こんな時には「〇〇をめぐる冒険」にはまり込んでいる可能性が高いです。