予期不安を高みから眺める

なんかこう、昨日、今日とざわーっとした感じがする。
なんだろう、このざわざわっとした感覚は。 
とりあえず、今日はぼんやりしてたい、みたいな感じがする。でも、今日も忙しい。
だいたい、やる気がないとか、ブルーな気分とか、
それは大抵が予期不安からくる、と言っていいと思う。
芥川龍之介が「将来にたいする漠然とした不安」から自死を選択する、というのを遺書に書いていた。
将来に対する漠然とした不安、それって、誰でもあると思う。誰にもある。
将来が約束されてる人なんてどこにもいないのだ。
もし成功してれば、この成功がいつまで続くか不安だろう。
これは何かを手にしてる人ほど、将来は不安ではないだろうか。
今何も手にしてない人も、将来は不安だ。
将来どうなるか保証がある人など、この世に誰ひとりとていないのだ。
もし、今、あなたが不安を手にしてるなら、こう思うといい。
まず、「不安って素敵だな」と思うのだ。
この不安感ってとっても素敵だな。これを言葉にするならどんな感じで、
これを歌にするなら、こんな感じで、 色にするならこんな感じ、形にするなら・・・
こんな不安感を抱えてる主人公の映画を撮るなら、誰を主人公にしようか。
この役を誰にさせようか・・・
と不安をネタにいろんな妄想をするといい。
そして、世界中の人が同じ不安感を共有してるのだ、と思うがいい。
みんな幸せそうに見えるかもしれないが、不安じゃない人などこの世に誰ひとりとていないのだ。
そう思えたら、なんとなく予期不安はすこし和らいでこないだろうか。
不安は不安のままでいい。
そのままそこにおいておいて、ただあなたはそれを、いろんな角度から、いろんな高みから眺めればいいのだ。
不安を山の上から眺めれば、あなたにいろんな非物質的な勇気もわいてくるだろう。
いろんなインスピレーションも降り注ぐだろう。
そうすると、「不安」と感じることの心の美しさ、不安が与える人生教訓、などが得られてくる。
その時には「不安感」ととても仲良いお友達になれるはずだ。
わざわざ不安感で自死を選んだ芥川龍之介みたくならなくて済む。
彼は不安感から逃れたいと思ったのだろう。
だが逃れることなんて不可能なのだ。
まずは、そう腹をくくることが大切だ。

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