役割を演じる2

9月22日の惑星ヒプノ講座にキャンセルがでましたので、一名様募集いたします。
こちらからどうぞ☆ 
~~~~~~~~~~~~~~
昨日、役割を演じる、という事を書きましたが、
これは役者になって何にでもなれるようになるという事とは全く違います
何にでもなれるということは、何にもなれていないことです。
人生上で、何にでもなる役者になるというのは、そこに誠実さがありません。
それは詐欺みたいなものです。傲慢な偽善者のようなものです。
ユング先生が言ってるペルソナというのは、
そういう事とは全く違うのです。
是非、誤解しないでほしいところだと思います。
役割を演じるというのは、もっと誠実な義務を遂行するというようなものです。
先生という役割をしている時に、きちっと先生としての役割をするということ。
母親という役割をしている時に、きちっと母親としての役割をするということ。
それは、私は何にでもなれますよ、というような不誠実な態度ではありません。
自分に与えられた役割を一つか二つか、三つくらいをきちんと遂行できる誠実さを持つということです。
そこには役割への愛があるべきです。
私が生徒の役をやってやってるから、あの人は先生の役をできるんだよ、
というような傲慢な態度では全く役割を演じれていないということです。
役割を演じるというのは相手をだますことではないのです。
また、役割を演じるというのは、取り繕うのとは全然ちがいます。
こうあるべきだ、というのとも違うのです。
母親は子供にたいしてこうあるべきだ。
母親らしく子供を指導すべきだ。
これは、ちょっと違うのです。
この○○であるべきだ、という考えは、自動化したオートマチックな思考回路であって、
それは知性ではないんです。
役割を演じるというのは、
その場に一番最適な自分を多角的な視野から表現できる本当の知性を持つということです。
自分が演じることに徹すると同時に
相手にもその人らしい役割を演じれる配慮をするということです。
そこに謙虚さと愛をもって配慮するということ。
母親の役割は、自分が母親らしく威厳を保てるように子供をねじ伏せることでもありません。
母親の役割というのは、子供が子供の役割ができるようにすることです。
子供の役割とはなんでしょう。
甘えることができて、でもちょっと怖くて、でも守られて、反抗できる。
そうした役割を子供が演じられるようにするのが母親の役割です。
私は先生とか講師とかいう立場の人が、
まるでお母さんのように、○○ちゃん○○なんだねぇ、、とか ○○ねぇ、とか 言うのは私は好きじゃないです。
お母さんじゃないんだから。と思います。
私はピアノを教えるときに、子供相手でも、講師という立場にたったなら、○○ですか? ○○してください。
といった、ですます調をつかいます。だってお母さんじゃないんだもの。
そうすることで、生徒は、この人はお母さんではないんだ、ということを学ぶのです。
この人の前では生徒である、生徒としての態度というのを学ぶのです。
自分の立場、置かれた状況、その中での役割というのは一度よく考えてピックアップしてみるといいのではないでしょうか。
そこにはその役割への誠実な謙虚さというものが必要です。
健全なペルソナを形成する。それはもっと本当の知性がいることなのです。
義務を遂行するというのは、もっと美しいことなのです。
そして、それはとても暖かい行為なのです。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加