大切なことってメンドクサイ それと雑文

Facebookのお友達が書いてた記事。
「大事なことって面倒くさいのだ」と宮崎駿さんが言ってという話。
本当にそうですね。。
ピアノの曲を一曲仕上げるときに、
〈家ではだいたい弾けてます) という状態から 〈人前で本番が弾けます〉という状態にするには
結構高いハードルがある。
曲を最終的に仕上げるときには、かなり面倒くさい練習をする。
例えば一曲を超スローペースで弾き続けるとかだ。
古典の曲ならば、本番の一週間前から2日前くらいまでは非常にテンポを落として、
でもテンポは落としているけども、その中で全ての音楽表現をするようにして練習する。
ひたすらイライラっとする感じの練習で、
集中力が続かなくなって、ピアノを弾きながら寝るとかいうことも多々ある。
しかし寝ようがなにしようがその練習は絶対にし続けなければならない。
そうすると、本番2日前に、テンポを戻したときに、見違えるような真珠のような演奏が生まれるのだ。
これは、その面倒くさい練習をした後でなければ絶対にたどり着けない境地なのである。
要するにいい演奏になるかならないか、というのは
細かな一音一音のすべてに血肉が通ってるか通ってないかという問題であり、
血肉のかよってない、死んだ音を連発するならば、それは良い演奏にはなり得ない。
死んだ音というのは、気の入ってない、神経の行き届いていない音のことだ。
血肉を通わせるには、全部の音に血肉を通わせる練習として、
そうした超スローペースで一曲を弾き続けるというような練習が存在する。
こうした練習は、短い曲ならばいいが、古典のソナタとかとなれば、一曲長い。。
気が遠くなるような練習をコツコツと一人でしつづけなくてはならない。
これができなければ、絶対に良い演奏にはなり得ない。
そう、大事なことってとっても面倒くさいのだ。
こういうのってとってもホロスコープの360度的だと思う。
どの度数も一つとして、血肉の通ってない度数はない。(あたりまえだけど)
でも人はその度数に天体を持っていても、時に血肉を通わせていないことがある。
まるで関係ないことみたいな。。
自分の天体がそこにあってもだ。
そういうときはやっぱり、一個一個取り出して、
色んな角度からしげしげと眺めるしかないのかな。
それは生かすべきなのか。
生かさないというのにも何か理由があっただろう。
無視し続けることで、生かしてるのかもしれない。
これは絶対に触れませんとするのも、
その天体を持つ意味としては超、意識してるともいえる。
もしそれを生かさないという事を意図してやるならば、
それはその天体を生かしてるも同然かもしれないと
思ったりもしなくもない。
まぁ、屁理屈の極致みたいな感じだけど。
それは、そんなことができるならば、の話であって、
ほとんど机上の空論的だ。
この天体のこの度数が嫌だから、無視しようとか
たぶんそんなことは絶対にできない気がする。
でも私が見ている限りにおいてだが、
派手な度数の天体ほど、使えていない人が多いように思う。
度数によって、その天体の光度が違うのだろうか。
あまり強すぎる光度の天体は使いにくいのだろうか。
私はクライエントさんにヒプノのお申込み時に出生データーをもらっておく。
そして、セッション前にチャートを読んでおくのだが、
これは、すごいなー。派手だなー。どんな人がくるのかなー、
女優さんとか、舞台役者さんか・・なんて妄想がはらむ。
しかし、実際にお会いすると、そこまで派手だとなかなか天体が使えてない場合が多い気がする。
光度の強すぎる天体を使うのは難しいのだと思う。
しかし、その天体をもって、この地上に生まれたのだから、
方法はどこかにあるのだろう。
もし一生その天体を使えなかったとして、
そうしたらそのエネルギーはどこへ行くのだろう。
来世に持ち越すのだろうか。。
しかし、そのエネルギーを全部ヒプノで見て回るっていうのは
面白そうですよね。
自分の可能性の限りを見てくる。
そこからわかることというのがあるかもしれないし、
もしかしたら、それが生かせてない理由はちょっとした事だったりするかもしれない。
今、トリシアカエタノさんのインナーチャイルド講座に出ているので、
その講座で体験体感すると、
自分の人生を生かせてない理由は、もともとは
とてもちょっとした事だったりするのを体験する。
もともとは、ちょっとした事だったりする。
しかしそのちょっとしたことに沢山の尾びれ背びれがついて、
巨大なモンスターになってることが多い。
そうしたことは、
この天体を生かす生かさないともとても深い関係があるかもしれない。
まぁ、そんなことを、ごちゃごちゃと考える今日この頃でございます。

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