昨日は久しぶりの休みで、休みだからこそ、
しなくちゃいけない事がいっぱいあったのにもかかわらず、
ほとんどぼーっと過ごしてしまったのである。
ぼーっとといっても、本当にぼーっとできればいいのだけれども、
なんだかんだと色々な雑事に追われて、
洗濯やら炊事やら最低下はせねばならないし、
本当に一日なんもせんでぼーっとというわけにはいかないものだ。
とりあえず、一週間くらいぼーっとしたいなぁと思うけども、
いやいや、せめて3日でもいいんだけども、
いやいやいや、1日でもいいんだけども、、
なんて食い下がってみたいけども、誰に向かって食い下がるんだ、おい、という感じだ。
そんなことを誰かに言ってみたところで、「では願いをかなえてやろう」なんていう
神様だか、魔法使いだかはあらわれないのである。
まぁ、いたしかたないか。
しかし、私は昨日、とてもすがすがしい気分がしたのだ。
私は一昨日、インナーチャイルド講座でクライエント役をやった。
もうなんどもインナーチャイルドワークをしてきた私にとって、
何かがまだ取り組むべきことがあるとは思えなかったのにもかかわらず、
いざ、クライエント役をやるとなったら、
自分の中で湧き上がるイメージがあった。
「そうだ、あれだ。あれをワークするといいな」
そうして私はワークの中のビジョンに入っていった。
学校での場面。
家庭での場面。
子供の頃のピアノを習ってる場面。
そうして、最近あった場面まででてきた。
それは意外だった。
それらは私の中にある、ある感情を伝って、
芋づる式にずるずると出てきた。
人は生きてきた年表みたいな中に、
その中にもグリッドが存在するのだ。
グリッドは大地や地面にだけでなく、時間軸を生きる我々にとって、
その時間軸の中にもグリッドが存在する。
そのグリッドは、子供の頃に体験した感情感覚で結ばれている。
いや、子供の頃に体験した感覚感情によって、
そのグリッドにみずから飛び込んでいるというのが正確なところだろうか。
それは私にとって、まさか!というような感覚だった。
まさか、こんなグリッドにつかまっていたとは!という感じだ。
それが最近の出来事までが、そのグリッド体験だったというのを知った感覚は、
明智小五郎が犯人を見つけたときの
「えぇええええっ!! まじか! 盲点だったぁあ! 」というような、アハ体験とよく似ている。
それまでの私は、その最近の出来事について、
こんな風に思うのは私の心が狭くて偏狭だからだと思っていた。
しかし、そのワークをやってその犯人が自分なのではなくて、また他人なのではなくて、
単に自分がそうした感情グリッドにハマってただけだったということを知った時に、
なるほどな、と思った。
そうして一晩ねて、朝起きた時、
いつもならものすごく気になることが、全く気にならなくなっている自分がいた。
今まで、単にあれに捕まってたのだということを知った。
あのグリッドにハマっていたのだと知った。
そうして、それにハマってる自分がとても窮屈だったと知った。
それまで、そんなに窮屈だったとは知らなかったんだ。
でも、一度そこから出たら、
世界はもっと私に自由をくれている気がする。
私はもっとラクに生きられる。今までよりもっと。