昨日の画像ではヤバイ目つきのキーシン君でしたが、
演奏してる時は生き生きとしています。
キーシンの演奏手法ってとっても独特だと思うんです。
よく、これで、こんなすごい音がでるな、と感心ひとしきりです。
フォルテシモを弾くときには手首は上がっていくし、
カマイタチのような手で弾いてますよね。
そして、押さえ込んでいる。
この押さえ込みでピアノを鳴らしこむって凄いとしか言いようがいない。
日本の女性がこういう風に弾いたら、ものすごいちまちました演奏になります。
日本の女性がこういう風に弾いたら、どん詰まりで、響かないし、固いし、
だめでしょ、これじゃ、とか思う感じの音になってしまいます。
いがいと、そういう人はいるんです。実はけっこういるのですが、
だいたいこういう風に弾いたら、ピアノが鳴らない。
まず、この手つきで、ピアノが鳴り切るっていうのが、想像を絶します。
少ない労力でピアノを響き切らせようと思ったら、
あのドンヒョクさんみたいな弾き方をせねばなりません。
手首をゆるゆるにしといて、瞬間的に弾いていく感じですね。
このキーシンのピアノの演奏法というのは、まるでアプローチが違います。
押さえ込んでもフォルテが出るキーシン君は、その響くフォルテとマットなフォルテを
とても上手に使い分けているわけですね。
本当に音色の多様さっていったら、凄いものがあると思います。
コンサートでキーシンの音を聴くとさらにびっくりします。
こうした録音ではとても収録できてない音があるんです。
なんて表現していいか、言葉では言えませんが、エライ透明感というか。
こんな音きいたことないお。っていう一音一音の透明感。
しかし段々と、年をとってきて、20代の頃の透明感は無くなってきて、
30代ごろのは脂ぎってる感じの演奏も多かったのですが、
きっとまた、だんだんと枯れて良くなってくるんじゃないかなぁと思ったりしています。
音楽家って大変ですよね。音に自分のすべてが出てしまう。隠せない。
心の成長が伴わないと、そういう音しか出せない。
性格悪いと性格悪い音しか出せない。
心が薄いと薄い音しか出せない。厳しいです。
音色のコントロールに関しては、
聴いているほうは、ほんの一瞬の出来事だと思うのですが、
演奏者はその細部の細部まで意識的にコントロールをしています。
にこの1秒にも満たない一瞬の音が、その音が絶対に「この音である」、というその
「この音」を確実に演奏する。
その「この音」がでるかでないかで、全ては変わってしまうのです。
その圧倒的なこだわり感とかがないと音楽ってできないんですよね。