藤原先生を偲ぶ

最近、お世話になった幼稚園の先生がお亡くなりになりました。
この先生はお一人で無認可の幼稚園を自宅で行っていたのです。
それは本当に夢とファンタジーと愛の詰まった幼稚園でした。
毎日、毎日、子供の様子をノートに綴ってくれて、
それも親に向けてのノートではなく、
子供に向けて、書くのです。
ノート一面に書いてくれて、
子供はそれを一生けん命に、
まだ、たどたどしか読めない字を
読んでいくと、
○○ちゃん、きょうは、たのしくえがかけたね。
よくできたおりこうさん。
みたいな感じの事がかいてある。
それは子供にも親にも嬉しいものでした。
そして、一人ひとり文面の違う卒業証書。
それは、立派な人になるんだよ、
というような願いがいっぱいに詰まったものでした。
子供には暖かく接してくださる先生ですが、
母親達には厳しかった!
子育てとは、人を育てるとはどういうことか、
先生の思想は本当に胸打つものがありました。
本も執筆されていたと思う。
もう絶版になっていて手には入りません。
私が出会った時は、
もうすでに腰も首も曲がっているほど
お年をめしていて、
時々体調がわるそうでした。
それでも子供の面倒を見てくださった。
あの頃の私は、
主婦の視点でしか物事が見れませんでしたが、
今思えば、
ああした幼稚園を一人で経営するというのは、
さぞ、大変であっただろうな・・・と想像します。
思い出すのは
「先生はね、魔法が使えるんだよ。」
といって、先生はあっという間に家の屋根の上に
乗っていたことがあるそうです。
子供たちは「あのときは本当に先生は魔法をつかった」と言っていた。
魔法は本当にあるんだよ。
そういうと子供たちの目はキラキラ輝いていました。
そんなに昔のことではないことのように思うのに、
なぜか私にとっては、まるで前世を思い出すことのような・・
そんな気がするのであります。
しかし、そうした前世を思い出すと、
今あることが良くわかる気がします。
そしてまた、初心に帰れる気がします。
人はいつでも今を生きているけれども、
今だけ見ればそれでいいのではなくて、
多次元に存在するということを理解しなければ、
今がどういう時期なのかも理解できないのではないでしょうか。
死ななくても、人は生まれかわったりしているんだと思います。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加