最近、プロジェクトが走ると、数人でメールを共有しながらやり取りをすると、自分もそのプロジェクトのメンバーだからゆえ、ずっと色んなメールがとどくのだが、ちょっと目を離すと、いろんなメールが一気に来て、どこから何がどうなってるのか、すっかり乗り遅れたりなんかして、ここで口を挟んでいいのか、いや、よくよく話しを把握してからにしろ、すぐ返事したら余計に混乱するだろ、なんて思ったりなんかすると、大縄跳びに飛び込むごとく、タイミング逸したらブーイングで後ろ指さされる小学生のごとしである。 これはツイッターのツイートなんかもそうである。 ツイッターなどみると一定のトーンで流れる人類の脳内つぶやきみたいなのが、川の流れのように、回転寿司のように、流しそうめんのようにながれている。 回転寿司にはやっぱり同じように寿司を並べるのが暗黙の了解というか、同じものにしとけよ、みたいな微妙な空気がながれている。そこに、朝の3時から「ハッピー!!」とか書きこむのはやっぱり気がひける。
先日は美しいライヤー奏者の長谷川友美さんがヒプノセッションに来てくださった。友美さんはアカシックリーデンガーでもあり、リーディングセッションもしている。初めてのヒプノということだったが、先日私がいただいた「人間パワースポット」の称号は友美さんに渡したいと思った。こうしたスピリチュアルワーカーの人のセッションをすると、同じスピワーカーとしての独特の視線に「おっ」と思う。例えば私はヒプノセッション中にクライエントさんの変性意識で体験したことを、ずっと記録をとり続けている。この記録紙が今やものすごい量で、もう棚いっぱいで、これは全部スキャナーで読み込んでパソコンにでも入れない事には、どんどんわけわからなくなるなとは思っているのだが、そういう内情はさておき、この記録紙について、友美さんが意味不明に感動しているのに、感動した。「私もいつも記録とるんです!そうするとお客さんが喜んでくれて・・」 ほぉ。うーん、まぁ、お客さんにはいろんな層があるのだ。私の所にくるお客さんで私が記録しているのに目を付けた人は滅多にいないように思う。私の記録紙をみても、冷たい目で(もないけど)「(そんなの)おぼえてますから」みたいな反応だ(いや、そんな冷たい反応はしないけど、ちょっと誇張してみた)。とくにその記録紙というものの存在は非常に存在価値が低く、それはきっと、ヒプノというセッションの性質上、体験しているのはクライエントさんご本人であるがゆえ、記録紙などで喜ぶ人はいないのだ。私が記録をとってることに注意を向けたのは、後はみけまゆみさんくらいである。やはり個人セッションなどを日々されている方には、同業者としての「こんな仕事もしてるんですよね」みたいな注目度というか、いわば職業病というかそういうものが存在する。産業カウンセラーなどでは、セッション中にカウンセラーがメモを取ってはいけないという御触れがある。実に私は軽やかにその御触れを破っている。ともいえる。
まぁ、記録紙のことも、朝の回転ずしハッピーもどうでもいいことなんだけれども、どうでもいいことくらい面白いことはないではないか。