私は最近、ある人から「真実であることが良いこととは限らない」と、そんな言葉を聞いた。
たしかに、そうかもしれない。この世で生きるには、真実が良いこととは限らないかもしれない。しかし、それは「短期的には」という条件付きだと思う。私たちは、真実なしには絶対に本当の幸せにはたどり着けない。幸せの土俵には絶対に乗れない。これだけは、絶対的な真理だと、私は思う。ごまかし、嘘、とりつくろい、利権、そこには真実がなく、それは幸せの土俵には絶対に乗る事ができないのだ。それは何かの思い込み、ブロックだという人もいるかもしれないが、思い込みでも、ブロックでもない。それは今までの人類の歴史をみればわかる。一目瞭然だ。真実の無いところには幸福はありえないのだ。今は沢山のしがらみといろんな情報の中で、私たちはがんじがらめになって生きている。
たとえば、放射能。放射能が危険で今でも関東地域などはめっちゃ危険なのだと言っている人がいる。私はめちゃめちゃホットスポットに住んでいるので、その情報が流れてくるたびに、ビビる。しかし良く考えてみてくれよ。私はいたって健康で、家族も誰もが健康である。ここに住んでる身近な人で、鼻血がでたとか、病気になったとかいう人を見たり聞いたりしたことがない。ないのだ。だから大丈夫だといいたいわけではない。だから危険じゃないんだと言いたいわけではない。ただ実際には鼻血だしてるとか健康被害が顕著なひとは身近にいないな?おかしいな?という視点を私は持っているというだけの話だ。
チェルノブイリの話で、以前にテレビを見ていたら、こんな画像があった。チェルノブイリの近くの湖で、魚がぴちぴち元気そうに泳いでいる。網で魚をすくいながら、ロシア人が、こんなことを言っていた。「ここの魚はこんなに大きくなって、こんなに元気そうに見えますが、私たちはこれを食べることはできません。信じられますか?こんなに元気そうに見えますが、食べられないのです!なぜなら、ものすごく放射能で汚染されているからです。」
といって、なんかすごい数値を映していた。
私はそれを見た時にこう思った。「え?おかしくないですか?だって、魚、生きてるんですよね?元気そうなんですよね?大きいですよね!?みるからにぴちぴちで、めっちゃ生き生きしてますよね?魚達は死んでないんですよね?じゃ、人間もここで生きられるんじゃないですか?食べたらどうかとかは知らない。でも・・・・・・ここの魚は、もっと小さい汚染されたここの魚や、汚染されたここの虫などを食べて生きていて、それで、こんなに元気なんですよね?なんか、おかしくないですか?オカシイなと感じないのですか?魚がこんなに元気で生き生き暮らしてるんですよ?」いや、でもだからといって食っても大丈夫かどうかの保証はない。ただ、おかしいなという視点をどうしてもたいないのかなというのが不思議に思ったのだ。視点をそこに置いてほしい。
キューリー夫人はラジウムを素手でつかんで実験してたようだ。被ばくで死んだといわれているが、60代でなくなっている。別に60代でなくなる事は特に短命とは思えない。シュタイナーも60代で亡くなっている。ショパンは39歳で死んでいる。そして、キューリー夫人のラジウムがそこいらに転がっている家庭でそだった次女は102歳まで生きている。・・あれ? おかしくないですか?もちろん、被爆しても平気なんだとか、そんなことは言わない。ただ、数値がウンチャラとかいう事よりも、実際にどうか、実際に暮らしててどうなんだ、という所のほうが真実である。この世はそんな数字ではできていないからだ。
同じようなことで、ホメオパシーのバッシング事件があった。あれを医薬業界は、散々叩いた。プラシーボだの、嘘っぱちだの、インチキだの、宗教だのとまで言われた。え?おかしくないですか?だって、私、それでいつも風邪とか一発で治りますもの。それで心臓病とか、肝臓病とか治った人も知ってますもの。身近にいますもの。どうして、いんちきとか、?え?科学的じゃない?いや、それなら、薬がなぜ効くかとか、麻酔がなぜ効くかとか、科学的に証明はされてませんよね?言ってる事が矛盾してて、おかしくないですか?真実というのは、事実を真実というのであって、数字や科学が真実と思っている人は、もう、人生全体的に失敗している。そういう人は、生きることそのものに失敗している。あなたがなぜ生まれてきたか、数字や科学で証明できるのですか?証明できないことが真実でないというならば、証明できない理由でこの世に生まれてきた事自体もうそこから、その人は間違っていた、ということを言っているも同然です。おかしくないですか?世の中の人は、自分の頭で考えることを放棄しているとしか思えない。自分の身体で感じることを放棄しているとしか思えない。
情報に振り回される前に、自分の体感覚を信じてほしい。自分の目で見ていることに注目してほしい。私は自分の感じたことに、なぜかいつも絶対的な自信がある。なぜかはわからない。でも、いつも絶対的な自信があるのだ。自分の利権、利害を離れたところで感じている自信があるのだ。それは誰もがその感じを感じれると、私は信じて疑わない。
この前、友人がこう言っていた。
自我が未完成な人は、
集合無意識と自分との境がわからなくて、
結局は集合無意識にたどり着けない。
自我の海の中から出れない。
そこに境がないから、手ごたえがないから、
向こう側に行けないのだ、と。
その通りだと思った。結局のところ自分が未完成だと変性意識に入った時に自分の思考の海から出れない。どこまでが自分か、どっからが集合無意識かがわからないからだ。入った瞬間にそこが集合無意識なのだと錯覚してしまう。だが、そこは自分の思考の海なのだ。自我を発達させるにはどうしたらいいか。簡単にいえば、自分の感覚をしっかりさせることだ。簡単すぎる説明だ。爆。それには普段の生活態度が大事なのだ。簡単に情報に流されたり人の意見に振り回されているうちは自分の感覚をつかんでいない。自我が未完成なのだ。自分の感覚を使うには誰の意見も聞かずに自分で真実を探し出す訓練をしなければいけない。何か見た時に「これは、おかしくないか?」と思える視点があるかどうか。自分の感情にも「これはおかしくないか」と思える視点があるかどうか。
人からいわれてすぐ鵜呑みにしている時は自分が未完成である。なにかあったらすぐに誰かに相談しているようでは、まったく自分が未完成である。なにかあったらすぐに人のせいにしている人も、まったく自分が未完成である。この自分が未完成なうちは集合無意識にはたどり着けない。自分が人生で何をしたいのかわからない時はまだまだ自我が未完成である。自我が未完成だと、自我を手放すということもできない。なぜならどこまでを手放していいかすらわからないからだ。そして、結局のところ、自我の未完成な人はエゴイスティックに生きてしまう。
しかし、人は誰もがそこから訓練して本当のスピリチュアルに出会うのだ。誰もがそこからはじめるのだ。自分が未完成ならば、完成させればいい。セルフ・アイデンティティを築くところからしていけばいい。そのためにこの人生はあるのだ。
連日ショパコンの動画などをUPしたが、自分でいろんな人の演奏を聴いて、誰の意見にも惑わされず自分で自分の好きな演奏を探す・・これはとても自分を完成させるのに役立つと思う。自分を完成させるというのは、自分の感覚に従えるということであるからである。それは、自分勝手なエゴイストとは違うのだ。ここをよく取り違えている人がいる。
*~* ヒプノセラピスト谷原由美の今後のスケジュール *~*
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5/20 5/27 6/3 6/10 6/17 6/24 7/1
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7/3 本編
7/4 8/1 インナーチャイルド編
8/2 自己成長編
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