はい。
これには何の意味もない。というのがレッスン1でしたが、
レッスン2は、
「この部屋の中に見えているものに、
私にとっての意味を与えたのは私である。」 です。
部屋の中、外、目に映るもの不特定多数に対し、一つ一つ、
「これに意味を与えたのは私」と言っていく。
恒星女子のみなさんも、昨日は「あの星には何の意味もない」でしたので、
胸がつぶれる思いがしたかもしれませんが、
今日は「あの星に意味を与えたのは私である」です。
そういうと、自分が ネ申 のような気分になりますね。(爆)
(いや、そういうレッスンではない気が・・爆爆)
レッスン1、レッスン2ときましたが、これ、360個レッスンがあります。笑
一年間かかるんです。笑
途中から、神とかキリストとかがバシバシ出てきます。
信仰心をいかに養うか的な教育が始まる感じなのですが、
私は細胞全部が入れ替わるような信仰というものを持ったことがあるので、
ま、読んでて、なるほど、こうやって細胞入れ替えていくね、
という手の内みえみえな感じがしますが、
一度はそういう境地に至る経験が、あるといいんじゃないかなと思います。
え、それって目覚めるためのワークじゃなくて、
盲信するためのワークなの?って思うかもしれません。
いや、そうじゃないんですよ。
私達は競争社会と現実社会を盲信していて、
それ以外のところに意識を置くことは、
そこから脱落することだと思うから、そういう拒否反応を起こすのです。
よく、何にも染まらないことを信条としている人がいます。
一つのことを信じたり、染まったりすることを拒否する人がいますが、
そういう人は、一生かけても何も学びません。
一生かけても自分の枠から出ることはありません。
そうした人は、染まらないことで、自分を保っていると思っているようですが、
偽りの自己に染まり切ってるに過ぎないんです。
または小さな自分にハマり切ってるに過ぎないのです。
人生に必要なことは、この世に生まれた以上、
自分を捨てる勢いで何かに染まり、
自己の殻をやぶり、
ある程度したら、それを断ち切り、
また、違った体系に染まり、
ある程度したら、それを断ち切る。
それを繰り返すことで、視点が広がり、
自己が拡大していきます。
私達は、私達が思っている以上に自分という存在は大きいのです。
何かに染まったくらいで、自己など失いません。
何かに染まったら自己を失うというのは幻想です。
染まっては、断ち切る。
何かに染まってる最中の人をみると、ぎょっとするかもしれませんが、
その人は自己を拡大する作業中なのです。
上に飛んでは下に降り、飛んでは降り、
恒星に行っては、地球の小さな自分に戻り、
染まっては、そこから断ち切り、
この二つの運動を繰り返さないと真実は見えてこない。
非二元というけれども、私は私ではない、と悟ったならば、
私は私である、に今度は、確実に、正確に、深く入ってこないとならないんです。
だれも、その運動について、あまり正確に言及していない気がします。
非二元で、全部、夢だから・・で終わってる人には、悟りは来ないです。