人をコントロールするときはダブルバインドを発動すると、容易いのです。
ダブルバインドとはなんでしょう。
それは、日本語では二重拘束といいます。
思いと行動がバラバラで、
そのちぐはぐな態度に、
私達の潜在意識は非常に敏感に興味を持ち、
そして虜になってしまう。
これがダブルバインドです。
ツンデレというのがあります。
女性でも男性でもツンデレの人は、
モテたりしますね。笑
あのツンツンした態度とデレデレした態度を行き来する、
あれが、まさにダブルバインドなんです。
こういう人に引っかかってしまうと、
このダブルバインド(二重拘束)から抜け出ることが非常に難しくなります。
「昨日は良いと言ってた事が、今日になったらダメ」というような態度。
昨日は本当に一緒にいて楽しそうにしてくれた恋人が、
何があったのか理由は全く見当たらないのに、今日は冷たい・・・。
昨日は「君は本当に筋が良い。才能があるよ。」と言ってくれた先生が、
次の日には「なんだ、ヘッポコ。君みたいな能力ない奴はどっかいけ。」なんていう。
こうなると、人は、もともと自分を承認してくれた喜びを脳みそが覚えているので、
なにか自分に落ち度があったのだろう。なんかわからないけど頑張ってみようと、
潜在意識で思います。顕在意識でも思うでしょう。
そうして全力で頑張ることを始めます。
ここでのポイントは「自分が悪いんだろう。」「もっと頑張ればいい結果がでる」と
被害者側(コントロールされる側)が思ってしまうことにあります。
そうすると、被害者側はなんとか恋人または師の機嫌をとって、
もとの認証を得ようと、
あの手この手と使いはじめます。
他人からみると、そこまでやらなくても・・というようなことまではじめてしまいます。
完全に支配下にはいると、
本当に何でもやってしまうのです。
恥も外聞もなくなってしまう。
コントロールする側、ダブルバインドを発動する側は、
ツンツンしてたのに、突然デレデレ始めます。
適宜なところで、「やっぱりあなたが一番よ」とか
「やっぱり君には才能があったね。」などと言い出すのです。
しかし、また少しすると、また非難されます。
こうして認証・非認証を繰り返し、
コントロールされる側は、すっかり恋人・師という関係を超えて、
「信者」になるか、「逃げられない関係」になるかします。
もともとは、親子関係で起る事が多いです。
「勉強すれば、遊んでいいよ」
これは、勉強という苦痛と、
遊んでいいという快楽がセットになっています。
この場合、潜在意識の中で、
苦痛を選ぶと、その後に快楽がまってるんだな、
と何度も何度も刷り込まれていきます。
大人になるまで、何度も何度もです。
そうすると、本当は楽しみたいだけなのに、
楽しくないことをし始める。というようなダブルバインドを始める。
楽しくないことと楽しいことはいつもセットという矛盾した考えが根底にあるので、
結局は二重に拘束されていて、
何もできない。。ということが生じます。
自分の意志ではなにもできず
完璧に親のコントロール下に入るのです。
さっきのツンデレの恋人も、もともとはこういう家庭環境にあったでしょう。
親がその日の気分次第で、愛したり、冷たくしたりを繰り返してたはずです。
そうして、自分はなにをどうしたら愛情がもらえるのかすっかりわからなくなるか、
または、そうした親の態度をしげしげと観察し、
そうした態度による支配の仕方を学ぶかします。
学ぶ方を選んだ子供は、
愛されるには、まず良い顔しておいて、冷たくしないといけない。
そうして相手が本当に自分について来るかを見計らって、、、ちょっと来たら優しくする。
そのやり方をしげしげと観察し習得していきます。
この時、ツンデレの恋人は、相手を愛したいのではなく、
自分が相手を、コントロールして支配したいという気持ちが根底にあります。
愛したいのではなく、支配したいのです。
もともとは、親から教わったダブルバインド、もともとは被害者だった。
けれども、いつしか親の発動していたダブルバインドを
誰よりも巧みに操れる人になっているわけです。
このように他人に発動できるくらいになると、まだ良いです。
人生論的にまだいいと思います。
良くないのは逆のパターン。
ダブルバインドを発動する親のもとで育ち、
自分はなにをどうしたら愛情がもらえるのかすっかりわからないけれども、
そのダブルバインドによって、今でも自分を縛りつづけています。
そして、ダブルバインドを発動するような人がいると、
喜んで自ら、その拘束の中に入ってしまいます。
これは、
拘束されているほうが安心という心理状態にあるからです。
猫はツンデレ代表かもな。