最近、娘のピアノの先生を変えました。
それまでは近所のピアノ教室に通っていたのですが、
最近、娘が
「音楽の学校に行くにはどうしたらいいの?」とか
「ショパンコンクールにでるにはどうしたら良いの?」とか
言い出したところで、
まじか。まじ、そんなこと思ってるの?
と思いまして、
このまま近所のピアノ教室に通っていては絶対に無理なのと、
いろんな意味で教育方針が微妙だと思っていたところもあり、
電車にのって1時間以上かかる恩師のところへ、
レッスンに通う事になったのです。
びっくりなのが、
一回のレッスンで、エライ上手くなるんです!!
やっぱり、凄い先生って凄いんです。
私の恩師は、それこそ4小節弾くのに1時間かかってしまうようなレッスンをします。
つまり細かいんです。爆
「その、最初の音は、それでいいの? もっと、光った音よ。
右手はもっと、光ってる。。。でも左手の音は、こもるのよ。」
え、右の音は光って、左の音はこもってですか・・。
ぬぉおおお。。。
「その第1音を光らせるには、こういう手の使い方よ。」見本弾き。
こ、こういう、、、手の使いかたぁああああああああああ、
ぬぉぉおおおお。。。
「左の音をこもらせるには、こうよ。こうよ」見本弾き。
ぬはぁああ、こうか?こうかな?
おおお、、、、ムズいぃぃぃいいいいいいいいいいい。。。
と、これを延々と繰り返し、4小節に1時間かかったりします。
でも、これがちゃんとできるようになると、完璧に一曲が仕上がってきます。
そういう先生なので、
娘の持って行った曲も、時間切れで、半分以上は見てもらえませんでした。
時間さえあれば、先生はそのまま2時間でも3時間でもレッスンします。
2時間すぎると、先生の集中力の維持力に舌を巻きます。
え、先生、疲れてなさげ。。。(遠い目・・・・)
まだ続くのかっ!?・・・・(遠い目・・・)
音楽家の集中力の維持力ってすっごいですよね。
で、娘なんですが、
ちょっと通っただけで、
すっごい上手になってきてて、
ハノンですら、音楽的です。
さすがに私は、大人になってから恩師につきましたから、
先生からハノンを習うことはなかったので、
目から鱗ですよ!奥さん!!!
えええええええええ-!!
ハノンって、こう弾くのかぁあああああ!!!
娘も、いままでは、ハノンなんか、
前日に一回弾けば良いだろうくらいの練習量で(爆爆)
こんなもの、練習できるか馬鹿!くらいの勢いで、
(いや、馬鹿はよけいかな。爆)
まったく練習してませんでした。爆
それでも丸もらえるしー、こんなの楽勝~!みたいな感じでしたよ。
それがですね、本物の芸術家に習うと、ハノンですら芸術ですよ。
本人も弾いてて楽しいようで、
私も聞いてて楽しいです。
本物に習うって、すっごい大切だなと思いました。
私は、昔ブログにも書いたと思いますが、
その昔、私が七歳のお祝いの七五三のとき、
着物をきて明治神宮に行き、
帰りに高級レストランに入ったらですね、
そこにいた、外人にすっごい写真を撮られたのです。
美しい日本の着物を着た少女の姿は、さぞ珍しかったのでしょう。
通訳の人がいて、
その人が、
「この人はポーランドのワルシャワ音楽院のピアノの教授です」と
紹介してくださいました。
「私もピアノを習っています」というと、
「大きくなったら、ポーランドにピアノを習いにおいで。」とおっしゃいました。
あら、どうしたら良いものかしら。と子供心ながらおもいました。
その通訳の人も音大の先生で、
「もし本格的に習いたいなら、私のところに来て良いですよ。」
と言ってくださいました。
私はそのとき、その先生に習いに行きたいと思いました。
しかし、そんなピアノを習いに、
1時間以上電車にのって行くとか考えられなくて、(←母が)
そのままになりました。
それから20年経って、
何のご縁か、
私は、ポーランドでワルシャワ音楽院でピアノを習うことになりました。
そのことが決まったときは、
その七五三の時のことはすっかり忘れていましたけれども、
あるとき、思い出して、
嗚呼!! 嗚呼!! そういうことか!!
はじかれるように、私の中で、点と点が繋がる感じがしました。
時間と空間を超えて、あのとき、思ったことが、
ここで成就したのだなと思いました。
あのときのご縁が、こうして実を結んだのだと思いました。
「大きくなったら、ピアノを習いにポーランドにおいで。」
それはまるで、前世からの約束が果たされたみたいな気分でした。
人の縁の、絶妙な美しさを感じ入ったのでした。
今、娘をつれて、電車にのって、1時間以上乗って、
ピアノを習いに行く。。。。
それは、小さな私がしたかった夢が
今、現実になってるのかもしれません。