セルアイ講座をやっていて、わかったことなのですが、
セルアイ講座は幼少期のいろんな体験から、
自分がどういう「設定」をしているかを見ていきますが、
この幼少期体験で、傷ついている人は、、、といいますか、
傷が認識できる人は、
自分と他人をかなり客体視でき、すぐに色々な事がわかるようになります。
だって客観的視点をすでにもっているからね。
自分と親との分離体験を早々として、
親を客体視するのが早かったんです。
だから自分の事も良くわかるようになるのが早いし、
宇宙全体を見ることができるようになるのもできるんです。
しかし、中には、幼少期の傷が見られない、発見できない人がいます。
こうした人は親との分離がちゃんとできていません。
こうした方の多くの共通点があります。
それは「朝起きた時の憂うつ感」「また朝がきた」
「生きてることが嫌」「生まれてきたくなかった」
「虚無感」
これが幼少期に傷が発見できない人の共通感覚です。
傷が発見できない人ほど、
慢性疲労に苛まされていて、
本当はそこから抜け出るための傷という切り札があるのですが、
それすらみつけることができないほどに、弱っています。
親との分離は生命エネルギーをうむものですが、
分離の傷体験がないから、
精神的分離が小さい頃にできておらず、
だから、人生をきちんと生き抜くというスタート地点に立ってないのです。
つまり傷というのは、実は生きるエネルギーや、
生きるファイトを与えるものなんです。
傷ついた体験があるからこそ、
猛烈に生きる生命エネルギーが沸くのですね。
で、子供は無意識にそれを知っていて、
自ら傷つく体験をしにでかけます。
大人からみれば、バカかよ?って思うほど、
安易に傷つけられてる子供がいますよね?
でも、それは、適宜な傷によって、
猛烈な生命パワーをうむのです。
それを子供は潜在意識の中で知っているのです。
でも、傷が見つけられない、傷ついた体験がないという人は、
その生きるファイトやエネルギーとなる傷つく体験さえ、
嫌で避けてきたし、
そうならないように巧みに生きてきたとも言えます。
親と分離しないように、赤ちゃんのままでいられるようにがんばっちゃったのね。
その代償として、
生命エネルギーそのものを失っているのです。
傷つく体験というのは、自分でそれを選ばない限りできないのです。
自分で無意識で「傷ついてみよう」と思わない限りできません。
子供でも自分で自ら選んで傷ついています。
勝手に傷つけられたと感じているのは、
自分の潜在意識がわかっていない人のセリフです。
自分が「傷つきたい」と潜在意識で思ったから傷ついたのです。
(それがわかると被害者意識からもすぐ抜け出られますよね)
なので、その傷に飛び込むことができる人は、それだけ勇気とエネルギーがあると言えます。
もうこれは実際に沢山のセルアイ受講生をみていてそうです。
傷が深い人ほど、エネルギーを持っています。ポテンシャル高い。
でも、傷が発見できない人は、
勇気がないんです。傷つく勇気がない。
そして、その結果として、もともとの生命エネルギーを否定してしまっています。
こういう人は、
自分が傷を避けてきたことを、反省して、(爆)
傷つけ馬鹿!と自分を鼓舞する必要があります。
「傷つく勇気を持てよ! お前はチキンだな!」
と、自分のインチャに言う必要がある。
「いつまでも赤ちゃんでいるな!!」と言う必要があります。
こういう人は、自己否定も上手なので、
それも他人から傷つけられない要に上手に巧みに自己否定もするので、
そこをあえて、
実は他人に言われたほうが良いんです。
他人に「お前!チキンだな!傷もないのかよ!赤ちゃんだな!」と言われると良いんです。
他人から傷つけられる恐怖によって、
それを巧みに避けるために、
自分で自分を低くみせ、自己否定し、
人生を憂鬱だと思い、それを体現し、
(そういうスタイルだと他人が同情してくれるし、
傷つけようとしないでくれるのでそうしているのですよ)
こうした人は、
他人から傷つけられることに必要以上の恐怖を抱いているのです。
それで朝おきると憂鬱なのです。
今日もどうやって傷つかずにサバイバルしよう、というエンジンが働くからです。
そのことで、無意識下で巨大なエネルギーを使っているのです。
親から傷ついた体験をしていて、それを記憶している人は、
他人から傷つけられるのなんて、慣れているし、
その傷を癒せることがしっかりわかったら、
実はものすごく大胆に生きられるんです。
ものすごーく自由に生きられます。
「傷ついた体験が、自分が好きでした体験だった」
ということさえわかれば、
大胆に自由に生きる事が出来ます。
でも、親からの傷つき体験が無い人は、
そこがわからないのね。
子供の頃から、傷つく体験へ飛び込んでないんです。
勇気がない。そして
傷を避けるから、強烈に生命エネルギーを失っているのです。
傷を避ける、ということだけが生きる目的になってしまっているのです。