傷と生きるエネルギー

昨日、FBで素晴らしい記事がタイムラインにながれてきました。

ありがとうに呪われた人たち。

http://ameblo.jp/picece/entry-12285871018.html

感謝するにも、段階があるのだと思います。
「嫌だ!」ということ、「ばかやろう」という事、
それも、段階で、それを飛び越える事は難しいような気がします。
絶望している、と叫ぶ事ができる場所に、希望があると思います。
孤独だ、と叫ぶ事ができる場所に、希望があると思います。

深い話だと思いました。

親に感謝しないといけないといって、

育ててくれてありがとう、、と上滑った偽りの感謝をしていると、

つまり自分の内側にある絶望した感覚、親との傷感覚を無視して、

「だって、育ててくれたんじゃない。感謝しかないでしょ」とかしてると、

生きるエネルギーがどこからも湧いてきません。

そういう人に限って、

そこそこの幸せはあるけど、なんか楽しそうじゃない、、というのを見受けます。

親との傷体験も、こんなに苦しかった!!!悲しかった!!!辛かった!!!って

叫べる人のほうが、確実にエネルギーに満ちています。

もちろん、そのトラウマは抱えていますが、

その中に希望を抱く心と、その希求が見えるのです。

叫べない人、傷を傷としてみようとしない人、

傷に気づけない人、そもそも傷を認識できない人は、

どうにもエネルギーを失っている。

昨日の記事にFBで

「子供が自ら傷つく体験をするというのは新しい発見でした。そうですね、傷は宝ものですね。傷を与えないのは違った意味で虐待かもしれない」というコメントがつきました。

わたしはそのコメントをみて、すぐさまブッタを思い出しました。

「YES!! ブッタ!」

ブッタは、王子として生まれ、

よからぬ予言により、王様がブッタにあらゆる苦脳を見せずに育てます。

まるで天国のような環境でブッタを育てるのです。

これ、何が起きてるかわかるでしょうか。

昨日の記事を読んだ方ならわかると思うのですが、

ブッタは、親との分離からくる欠乏感を全く感じずに成長したので、

まったく生きるエネルギーがないんです。

傷体験は子供は自らしに出かけます。人生という海にこぎ出すために、

その生命エネルギーを体現するために、

また自己を知るために、傷つきに出かけるのです。

親に、先生に、大人に、友達に、傷つけられる体験は、

その人が自己を知るための重要な手がかりです。

ブッタは生まれながらそれをしなかった。

傷を求めに冒険しなかった。

それは、ブッタ自身がとても臆病で傷をめちゃめちゃ恐れていたことの表れです。

親と分離したくない。いつまでも赤ちゃんでいたい。

だから傷のまったくうけない環境をブッタは作り出した。

王子としてうまれ、よからぬ予言というものまで作りだし、

そこに生まれ出た。

その体験のすべてをセッティングしているのは、ブッタ自身です。

親でも予言者でもありません。

子供は自分の環境をすべてコントロールしています。

親がどんなに傷つけまいとしても、

冒険心のある子供は自ら傷つきにいきます。

潜在意識は、どうやったら親が猛烈に怒るかまでわかっていて、

親が怒ることをしでかすのです。

さて、ブッタはそのように傷を避けまくっていたがゆえ、

ブッタは生き抜くエネルギーがありません。

お城の外にでて見た町の風景は苦脳に満ち満ちていました。

「こんな世界でどうやっていきたらいいんだ。」

ブッタが傷を避けまくっていたので、

ブッタの潜在意識は苦脳に満ちあふれていました。

この頃のブッタは、呼吸するだけで辛かっただろうと思います。

生きてるだけで辛い。意味わからないけど辛い。

存在そのものが辛い。虚無感しかない。

だから町が、苦脳に満ちたものに見えたのです。

もし子供の頃にもっと冒険心をもって傷つき体験をし、

生きるエネルギーに向かって、挑戦していたら、

同じ町をみても、それは喜びに満ちたものに見えたでしょう。

これらはブッタが幼少期に傷を避けていたから起きたことです。

はい。

谷原さんの妄想が激しいのではないかと、思う人がいるかもよ?と

家の外のカラスが「かーかー」言うので、ここまでにしますが、爆爆

感謝の強要というのは、これに似たものがあります。

傷をなかったことにする、

感謝で塗りつぶす、

傷をみない、傷をみたくないから蓋。

とりあえず感謝しとく。

これらは、みな、生きるエネルギーを奪うのです。

新月の瞑想のご感想です。
A様より

新月の瞑想動画とヒーリングをありがとうございました!
遅くなりましたが、感想です。
亜子さんの星読みを聞くと、星の影響がほんとうによく分かります。

前回の新月から、
自分のアイデンティティが崩壊することが続いていましたが、
それが今回の新月につながっているのだと、しみじみ実感。

私の安定の形が壊れ、新たな安定の形が新月で誕生しました。

たとえば、
私にとって、欲しいものを手に入れるというのは、
努力して、苦しい思いをして、その先にあるものでした。
でも、そんなことをしなくとも、欲しいものはやってきました。

「世界が私に貢いでくれる?」みたいな、変な感覚です。
「いや、いや、ありえないだろう…」と思いつつ、
これも一つの事実なんだと、この感覚も大切にしようと思いました。

そして瞑想の中に出てきた、『魂の目的』。

今まで、いくら考えても、感じようとしても分からなかったので、
死ぬまで分からないものだと思っていました。

でも、それがスルッと出てきたのには、とても驚きました。
しかも、とっても意外なもので・・・。

谷原さんの声が、「魂の目的」といったとき、
心に浮かんだのは、『愛の表現』でした。

多彩な愛の表現を楽しむこと。

実は私は、『愛』という言葉は、あまり好きではありません。

『愛』なんて、つかみ所がなく、分からないし、
うまく説明もできないし、

『愛』という言葉を簡単に使う人を見ると、
すごくお手軽なカンジがして、

「それさえ言っておけば、丸くおさまると思ってるんでしょ?」
みたいに斜に構えて聞いていたんです(^_^;)

でも、私のどの『安定の形』も、根っこにあるのは、
『愛の表現』なんだと思いました。

愛の表現は、自分を自由にするものもあれば、
自分を痛めつけるものもあり、

それはコインの表と裏のように表裏一体で、
表になったり、裏になったり、
私の人生で、ずっと繰り返されてきていて、
どちらか一方ということは、この先も無いんだと思います。

たぶん初めて「お母さんを喜ばせたい!」と思ったときから、
死ぬときまで。

そんなことを思いつつ、木に集まってきた仲間を見たら、
地平線の彼方まで、たくさんの人が集まっていて、
その人数に驚きました。

『魂の目的』って、もっとカッコイイものだと思っていたら、
意外にもベタなものでした(笑)

トキさんのヒーリングが始まる前、
「なんだかお腹が痛いな~。今日は眠れないかも」
と思っていたのに、

ヒーリングが始まってしばらくしたら爆睡で、
腹痛も無くなっていました。

スピリチュアルなものは、あまり体感のない私ですが、
ガッツリ癒やされた感がありました♪

ありがとうございました!!

「愛」とかいうと、とってもチープに感じるって、

私もよくわかります。

でも瞑想の中ででてくる「愛」はとっても深ぁーい感じがしますよね。

たぶん、ちょっと次元がちがう愛なんだと思います。

それも、あえて言葉にするならば、「愛」としか言いようがない、、

みたいな感じですよね。

新月の瞑想はこちらから↓


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