先日、みけまゆみさんのリトリートに参加させていただいたのですが、
その宿泊施設に、こんなものがありました!
説明がついております。
ほぉ~。。。
ダマヌールって何?って思いネットで調べると、、
あーはいはいはいはい。地下に住むスピな集団って、テレビで見たことある!!
地下にどんどん穴ほって、すんごい壁画とか書いてる集団生活してる人達!
なんとなくカルト集団なのかなと思ってたので、(すみません)
これにどう反応していいのかわからなかったですが、
しかし、すごく神秘的です。
そりゃぁ体験してみようじゃないか!と思いますよね。
このスパイラルに入るのに、一応やりかたとか歩き方があります。
鍵というのももらって、入ります。
で、歩きました。ぐるぐると。。。。
空気もきれいだし、鳥の鳴き声が美しいし、光は優しいし。。。
一歩一歩踏みしめながら、
わたしの中に沸いてくるものがありました。
「あ!、こういうことか!」
というような啓示があったのです。
このスパイラルは、
歩きながら人生を体感で理解するためのものだと思いました。
どんなことを感じたかといいますと、、
まずは、神聖な気持ちでスパイラルに入ります。
それは人生の始まり。
歩いていると、
途中、障害物的に、樹が道を塞ぎ気味なところもあったりします。
避けながら、でも道から外れないように、歩きます。
ぐるぐる歩いていくと、
知らない間に次の周に入って、自然と内側に内側に入っていくのですが、、
次の周のときは、さっきの障害物は、
また目撃するのですが、
目撃はするのですが、
今度は道は塞いでいません。
右目でちらっと、その障害物をみつつ、平穏に歩きます。
障害物の存在は確認するのですが、
もう自分の道を塞ぐことはないのです。
さっきと同じ風景なのに、
同じような道を歩いているのに、
でも障害物は自分の道の上には現れません。
今度は別な場所で障害物に出会います。
またこれも同じように、次の周になると、
同じ障害物は目にするけれども、道は塞いでいないのです。
同じ風景、同じ景色、同じ道なのに、ちょっと横の道をあるく。
よく次元上昇とか、次のステージとかいう言い方をしますが、
たぶん、次元上昇しても、次のステージにいっても、
似たような道をあるいていて、
自分が次のステージに入ったとかなかなか気づけない。
それは同じ風景を繰り返しているから。
でも、同じ風景なのに、
同じ障害物は目にするのに、
次元上昇したときには、
もうその障害物は道を塞いでいないのです。
これが経験であり、
これが学びであり、
そうして、核までたどり着くのだと思いました。
そうして、今度は逆に回転していく。
同じ道なのに、逆回転はキツイなと思いました。
真ん中に行くのは喜びでしかない。
しかし、逆に外に外に溶けていくのは、
結構痛いなと。
なんとなく、私たちは、20歳も過ぎると、
この逆回転に入っているかもしれず、
(私の妄想です)
逆回転しながら、空に溶け出していく。
もう、道は一度踏みしめたもの。
でも逆から見た時は風景が全く違く見える。
新しいような気がするけれども、
新しくなく、
本当の新しさは、
このスパイラルを抜けたあとに体験するのだと思いました。
未知へ向かうのはスパイラルを抜けた後なんだなと。
私たちが大人になってから、
インチャのワークをしたりするのも、
このスパイラルを体験すると、
しごく、利にかなっている事が理解できます。
インチャのワークをしないと、
この障害物が怖いし、そこで立ち止まる可能性があるからだと思いました。
本当はその障害物でさえ、
最初に出会った時は、喜びでしかなかったのです。
でも、内に内に向かう過程では、
あれは障害物だったんだ、と判断するときがくる。
同じ風景を、平坦に歩ける時がくるからです。
平坦な道がきたとき、
あの樹は障害物だったんだ、と思うのです。
子供の頃の記憶なんかも同じですね。
平和になると、「あれは苦しかった」と判断するようになる。
それは平和だからそう思うのです。
もし今が戦争時代だったら、
「素晴らしい幼少期だった」と思うでしょう。
そうして、あれは障害物だったと判断した後に、
その記憶が、逆回転の時には、
怖れになって現れる。
でも、これを超えたら、
スパイラルから抜け出て、
本当の未踏の地へと旅立てるのです。
とっても面白い体験なのでした。
以上、スパイラル体験記でした。
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昨日、一昨日と、目標がないんだよという話しをそこここで目撃しました。
目標はあったほうが、確かに楽に生きれたりします。
そう、スパイラルを抜けたあと、どこに向かうかって
何もないと暇なので、(暇とか)
どこどこに向かうぞと決めたほうが、
楽しく生きれたりしますよね。
わたしは、
人からみると頑張って生きてるみたいに見えるかもしれないけど
実はあまり目標とかがしっかりあるわけでもなくて、
なんていうか、波乗りのように生きてるという感じと思うんですよ。
求められてることをやってるだけ、っていうか。
自分で思うじゃないですか。
世間にこういう人がいたらいいなとか、
こういう事やってくれる人がいたらいいなとか、
そういうのあるじゃないですか。
で、そう思うことを自分にやらせてる感じなのね。
たぶん、そういう人がいたらいいなと思っているのは、
自分だけじゃないので、
そこに自分をあてがうっていうか。
そうすると、かならずそこにニーズがあるし、
それは仕事になるんですよね。
わたしは、そういう感じで生きてる気がするんですよね。
わたし、本当に、自分のためって、あまり何もないんです。
自分のためとか、お金のためとか、ウケ狙うとかもない。
ただ、こういう事をやる人がいたらいいんじゃないか、をやるだけなのです。
で、周りの人が自分に求めるものって、
確実に自分の潜在意識が自分に求めているものなので、
迷う人は、周りの人の声を聞くといいですよね。
「私に求めてるものってなに?」って。
で、確実にその声に応えてみる。
確実に。です。
迷う人って、周りの人の声に応えようとしながらも、
どこかでブレーキかけて、
全力疾走しないんですよね。
そこを全力疾走できるようになると、
きっと別次元に向かうよね。笑
どうせ自分では決められないんだから、
他人に決めてもらう。
そしてその決めてもらったことを全力疾走でやる。
それができると、見える風景が変わってくるんだと思います。
本当の自分らしさというのは、
自分よがりではなく、
自分の欲望とかではなく、
周りの人と調和がとれる状態。
周りの人も自分なんだってこと。
だから周りの人の期待に応えるって、
実はとっても自分らしい事なんですよね。