カッコよく、ステディに試合に参戦とかありえない。

前記事の続きなんだけど、

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試合はとっくに始まっている。
ひゃー、もう大晦日ですね。 大晦日って意外と暇ですよね。 いや、料理とかされる方は忙しいかと思いますが、 俺は暇だぜ!(え...

将棋盤を目の前にしながら、

鏡で自分を見続けて、

この試合をしたいかしたくないかを問うのは、

あんまし、意味ない気がするんだ。

もし、本当に試合に望みたくないならば、

その将棋盤を見ることさえなかったはず。

5月に結婚講座をした時に、

「結婚講座に出てみて、本当は自分は結婚したくないんだということがわかりました。」

とおっしゃってる方がいた。

うん、それもいい。

結婚しようとしまいと、自分の自由だし、

どっちでもいい。

でも、それって、

もしかすると

試合に臨もうとしたら、

盤をみないで自分を見た、って感じかもしれない。

もしそうだったら、鏡をみるのはやめたほうがいいよと思う。

だいたい、全てにおいて、

試合前に自分を見たら、やめたくなる。

試合中も、自分をみたら、やめたくなる。

たぶん、これすべてにおいてそうじゃないかと思う。

自分を見るという行為全般が、欠点さがしなんだよね。

盤を前に、自分を鏡でみるって、それはやめたほうがいい。

たぶん、誰でもそれやったら、参戦しない。

試合に臨むって、かっこ悪いし、自分の我欲とかを知り尽くすし、

醜い自分とかも現れるし、

そこで鏡みたらだめなんだよ。

そうじゃない。

試合を見続けないと。

または見るなら、もっと高い視点。

自分の顔を鏡で見るような視点ではなく、

宇宙から、この試合全体を見渡す視点。

そっちが必要。

必死に戦ってる、または戦おうとしている自分とか、

見ても醜いだけなんだわ。

いや、それを素敵と思える人は良いよ。

でも多くの日本人にとって、

それは自分を醜く感じる瞬間なんじゃないかと思う。

カッコよく、ステディに試合に参戦とかありえない。

だから、参戦してる時に我に返って、自分を見たりしちゃいけない。

参戦の目標は試合で欲しいものを手に入れることなのだ!

この目標を掲げたら、欲しいものを手に入れようよ。

そこまでやろうよ。

やってから自分を見て御覧。

絶対に前より素敵な自分がそこにいるよ。

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