ユングは言った。
人間の魂には始原のときから光への憧憬があり、原初の暗闇からだっしゅつしようという押さえ難い衝動があったのだ。朝の太陽の誕生は、圧倒的な意味深い体験として、心を打つ。光が来る瞬間がネ申である。その瞬間が救いを、解放をもたらす。それは瞬間の原体験であって、太陽が神だといってしまうと、その原体験は失われ、忘れられてしまう。
光が来る瞬間がネ申である。
太陽が神だといってしまうと、それは違うんだと。
昨日、ヒプノマスタースクールであったが、前世を体験していくと、本当にドラマチックな体験が、潜在意識から掘り起こされる。
わたしたちは何故、こんなにもドラマチックな人生を歩むのか。
それは、そういう体験がしたくてしてるのだろうか。
そんな質問がスクール内で飛んだ。
わたしたちは、きっと、この「光の体験を求めているのだ」、と私は思う。
「暗闇から光が来る瞬間」
それがネ申なのだ。
太陽が神なのではなく、 光が来る瞬間。
潜在意識は、この瞬間をいつも求めている。
そうして、辛かったり苦しかったりする体験に邁進し、
この光明がやってくる瞬間のその瞬間の体験を求めてしまう。
苦しかったり辛かったりする体験なしに、
光明体験をすることができないからだ。
あらゆる、小説や映画はその瞬間を切り取ったものだ。
第九が人の心を打ってやまないのは、
その瞬間が切り取られている音楽だからだ。
フランクルの夜と霧が、心を打ってやまないのは、
まさにその瞬間を凝縮したストーリーだからだ。
夜と霧の後に、その光明はやってくる。
太陽が出る瞬間を、
村上龍は「限りなく透明に近いブルー」と言った。
だが、この光明が来る瞬間を自分の人生でやろうとすると、
とてもとても、大変だ。爆
フランクルのようにアウシュビッツにまで入らないとならないかもしれない。
ベートーベンのように難聴で苦しまないとならないかもしれない。
村上龍のようにドラックとセックスに溺れないとならないかもしれない。
暗黒時代を通らないとならないし、
魂の闇夜などというものは、まさにこの光明の瞬間を体験したくて、
わざわざ無意識ちゃんがそこに没入しているのだ。
この希求は人には誰にもある。
潜在意識にインストールされていると言っていい。
無意識ちゃんは体験するためにわざわざそこに出向こうとさえする。
このインストールされた光明体験を希求するプログラムを、
いかにコントロールするかが、とてもとても人生で重要だ。
私は、個人的に疑似体験することをオススメする。
自分の人生でそれをやると、もう、人生が壊滅的に大変だからだ。
そういう人生にしたい人はそれでもいいのだが、
私は自分の人生を、もっと、潜在意識に貢献したい。
この海のような潜在意識の水質改善に人生を捧げたい。
だから、光明体験は、第九で充分だし、
人によっては映画だったり、小説だったり、
なにか、そうした、光明体験を疑似的にするもので好きなものがあるだろう。
音楽家も小説家も、
そうしてみなの人生を守っている。
疑似体験は、人生を守るための重要なツールなのだ。
そしてヒプノの前世体験は、それらを超えたツールだ。
それはもっと魂の奥から、
この光明体験をするからだ。
第九や映画は見た時は感動するだろうが、一時的なものだ。
しかし、ヒプノで体験する前世は、
もっともっと永続する。
なぜなら、自分の魂の奥から鳴り響くストーリーに出会うからだよ。
自分の魂の奥から鳴り響くストーリーに出会うからだよ。
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