ユングは、チューリッヒ大学の講師をしていたころ、
ヒプノを治療に使っていた。
あるとき、ユングは学生の前で臨床講義をするために、
左足麻痺の58歳の女性にヒプノセラピーを行った。
この女性はすぐさま深いヒプノ状態にはいり、
なんと、驚くことに、ヒプノを解くと、患者は治っていた!
彼女は大喜びで松葉杖なしで歩けるようになったのだった。
しかし、ここでさらに驚くことに、
ユングはこの衝撃的な体験を期にヒプノセラピーを行うのをやめたのである!
それはちょっと、バカなんじゃないかな?とか私は思ってしまう。爆
なぜ、ユングはこれを期にヒプノセラピーをやめたかというと、
「なぜ治ったかが理解できず、理解できないことが耐えがたい苦痛だ。」ということだった。
うけるw。爆爆
ヒプノは論理構築をぶっ壊すかもしれない。
でも、私はこの女性が何故治ったかわかる。わかると思う。
この話しには後日談がある。
女性はまた再発し、足が動かなくなった。
しかもそれは、ユングが再び、臨床講義のために患者を募集したのを知った頃。
それは彼に会うためだった。
女性は自分の息子をユングに投影し、
かれを名医とするために奇跡的に治ったというのだった。
ユングはそれを見て、それこそが無意識のする技だと理解し、
彼のその後の無意識理解につなげていくのだけれども、
その程度の理解で、ヒプノをやめたのは惜しかったなと思う。笑。
私たちの無意識は、身体の調子を支配し、その状態を作る。
奇跡的な回復も、その再発も、
なにか奥深いところで投影した何かに対して、
それがメリットがあると感じるからその状態を作っている。
しかし、おそらく、この女性の状態は、
いくらユングに自分の息子を投影してたとしても、
いくら投影し、彼を名医に仕立て上げたいという欲望があったとしても、
ただ、会って話したくらいでは、回復はしなかっただろう。
カウンセリングを受けたくらいでは回復しなかったろう。
ヒプノはもっと奥深い所にダイレクトに作用する。
もっともっと奥深いところだ。
息子を投影したことは確かに回復に効果を発揮しただろうけれども、
投影しただけ、ではなく、
そこにヒプノがあったからだと、
どうしてユングは考えなかったのか。笑
しかし、わたしは、この話を読む度に、
ユングがヒプノセラピー界から去って良かったなと思うのだった。
なぜなら、まだまだ私にやることが、残されている気がするからだ。
昨日は、娘の卒業式であった。
伴奏を弾く娘。
私は式の途中から壊滅的に具合が悪くなり、式の終了と同時に帰宅した。
集合写真に映ることもできず、
花道とか見てあげられなかった。
写真も撮れなかった。
それほど、恐ろしいほど具合が悪くなったのだ。
でも、今日は復活した。
一日、死んだが、一気に回復した。
朝から、部屋を片付けて、
明日は、大々的な模様替えを行う。
あの居間にグランドピアノを移動するのだ。
ここにダイニングテーブルがあるのがめちゃ気に入っていたけれども、
いろいろ理由があって、ここにグランドピアノがくる。
それもきっと気持ちが良いことだろう。
昨日、急激に具合が悪くなったのは、
今まで絶対に拒み続けていたあることを、やろうと決意したせいだと思う。
それは、ここ数日、うすうす気が付いていたけれども、
やらないでいたことがある。
それを絶対にやらねばならないと思ったのは、
一昨日、上松紀子さんのマヤ鑑定を受けたせいだと思う。
まえから、うすうす気が付いていた。
人はうすうす気が付いていることを言語化されると一気に動く。
私は、鑑定結果に衝撃をおぼえ、
ピアノを移動することを決意した。
明日には移動する。
一昨日鑑定を受け、昨日は衝撃で身体が死に、そして今日はそれに対して動き、
明日には、万全の体制を整える。
我ながら、動くときは早い。