昨日はチャクラ講座が終わって帰宅してから歯医者へと向かった。風が強かった。
この風の強さは台風だろう、と思ったのだけれども、天気予報で台風情報をみると「ただいま台風は発生していません。」とでている。ネットの更新が遅れてるかなんかで何かの間違いだろうと思っていたのだけれども、どうやら間違いではないらしい。では一体この強風はなんなのだ。台風じゃないとしたら一体何?なんなの?と誰だかわからない誰かに問い詰めてみたけれども、なんかよくわからない、自然現象ということで。
最近、今まで通っていた歯医者を別の歯医者に変更した。今までの歯医者さんは人柄もよく感じも良かったのだけれども、どうみても絶対に上手ではなかった。詰め物の調整などはめんどくさくてしょうがないらしく、最初は一生懸命調整してたとしても、途中でどうにも面倒くさくなってしまうようで、半ば放棄というか、あきらめというか、集中力低下というか、エネルギーぎれというか、そういうものが見て取れる感じであった。なので、それ以上こちらも要求する気力もうばわれ、デンタルオフィス全体に「まぁいいか」というような空気が流れるのである。
なので、今回はネット検索をしてどうやら評判がよさそうだというようなところを見つけ通う事にした。腕は前の歯医者さんよりは絶対に上手だと思うけど、今度の歯医者さんは性格が悪そうで、それだけちょっと嫌だ。まぁだがしかし、上手に治してもらう事が先決なので、イチイチ歯医者の人格まで問いていたらきりがない。
歯医者に行く途中に私のアドレスに送られてきたメルマガを読んでいた。そのメルマガの中に、セラピストというのはこうあるべきだというような内容のメルマガがあった。その内容の中に、クライエントの信念体系を変化させるのがセラピストの役目というような内容があった。私はその考え方には全く共感しない。その人は、その考えそのものが、もうすでに信念体系であることに気がついてない。信念体系はセラピストが変容させるのではない。クライエントが自分で変容させるのであって、セラピストはそこに介入などしてはいけないのだ。分をわきまえたセラピストは決してそこに介入しない。
信念体系の崩壊や変容は本人にとっては衝撃である。それは起こるときには起こるべくして起こる。それはその人が真に自分のガイドとつながった時には必ず起こると思う。セラピストの役目はその人が自分の真実、自分のガイドと繋がれるように誘導するだけである。変容はそのクライエントとガイドが望んだ時に望んだタイミングで起こるべきであり、セラピストは「いまこそ変化しなさい!」などというようにクライエントを揺さぶってはいけないのだ。だいたいそんな権利をセラピストが持っているわけがない。それはその人とその人のガイドがすることであって、セラピストの役割ではないのだ。
私の事を言うならば、私自身が固く握っていた信念体系が崩壊したとき、その崩壊が本当の意味で終結するには5年も6年もかかった。信念体系の崩壊は或る日、或る時、あることをきっかけに起きた。それは、ある人を見た時に起きた。その人は、ただの普通の日本人で、普通の人だったのだが、自分の神我とつがなっていた。その人のその姿をみただけで私の信念体系は、あの強固だった信念体系はガラガラと崩れ落ちたのだった。そしてその崩壊から自己を再統合するのに5年も6年もかかった。何度も何度も繰り返し繰り返し、信念体系は私に打ち寄せてきた。その度にいや、違う、いや、違うんだ、と自分に言い聞かせ、納得させ、そうした作業に5年も6年もかかったけれど、その体験そのものが、今の私の財産である。
私のこの作業に誰も介入しなかったことに、私は大変に満足している。誰かに、またはセラピストに「こう変化したらどうですか?」「こんな風に変われますよ」なんておすすめ物件を突きつけられても、私は全く納得しなかっただろう。
自分で気がついて、自分で変化する。それは自分にとって宝物だ。
その大きな宝物をセラピストが奪ってはいけない。
であるので、クライエントの信念体系を変容させるのがセラピストの役目だなんて、私はまったくもって思っていないのだ。
誰もが、自身を導く導き手というものを持っている。それはガイドだったり、ハイヤーセルフだったり、ワンダーチャイルドだったり、色々であろう。その導き手に導くのがセラピストの役目であり、使命なのだ。
その人を真に導くのはセラピストではなくて、その人の導き手がするのである。
昔の人はそれを神と言ったかもしれない。しかし神は政治や金と結びつきすぎた。利権や権力と結びつきすぎた。そうしたものが一切介在しない、自分の本当の導き手というものが、誰にもある。誰にもあるのだ。その人を導くのはその導き手であって、その役割をセラピストがしていいわけがない。だいいちそんなことはできないのだ。セラピストは思い上がってはいけない。ぜったいに思い上がるな。このメルマガを書いた人はそのことがわかってないように思われた。
風は夜には静かになったようだった。私は自身が抱いていた信念体系が、今はとても懐かしく愛おしくさえ思う。
もう襲われることも恐怖に思うこともなくなった今、それはただ、静かに可愛くそこに鎮座しているのである。