自分の特徴として、
訓練とか、実績とか、経験とか、積み上げたものとか、
そうしたものに価値を感じる力が強いのかもと思います。
真面目にコツコツやってる人とかすごく好きです。
どんなに性格悪くても(爆)
コツコツやってる人は好きです。
積み上げたものに私は敬服します。
オーラの講座で松村先生が、何度か、
訓練することの価値みたいなお話しがそこここにありました。
「生まれ持った才能のようなものは、
一度壊して再度訓練し直さないとならない」とか、
「どんな分野でもいい、整体でもセラピーでも
なんでもいいから訓練してる人は調整されていて、投影しない」とか。
そうだなーって思います。
うちには音楽家のクライエントさんが来ることが多々ありますが、
音楽家は積み上げた量が半端ない。
だからビジョン視もすごく正確です。
「生まれ持った才能のようなものは一度壊して再度訓練」ってのも
音楽の世界では本当にそのような事が普通に行われます。
たぶん、日本の茶道とか剣道とかも、再度訓練の世界だとおもいます。
しかし、今は「道」と呼ばれる稽古の形態がなくなっていて、
躾けられてない人間があふれてる感じがします。
昔は稽古というものに、すごく重きがあったと思います。
音楽の稽古とか茶道とか剣道とかは、
一度、自分を全部捨てて、先生の教えに染まらないとならないです。
そして染まり切ったところから、
自分を作り上げて、自分を押し出して、自分の個性を打ち出していく・・
そういうプロセスをたどらなければなりません。
それは茶道の「守破離」という言葉で言い表されています。
守:これは先生の教えを厳格に守る段階。
厳格に守ることができるようになったら、破という段階に入る。
破:先生の教えを破る段階。
自分の個性を押し出す段階です。
そして離。
離:先生から離れる段階。
これができたら、一人前のプロということです。
師範になるわけです。
このようにして、
人間は自分の完成度を高めるのだ、というプロセスでもあります。
今はこうしたプロセスは重視されなくなりました。
日本が年功序列で、先輩とか先人を重んじ、
どんなに才能があっても新人は重視されなかったのは、
日本人に染みついた「道」という概念があったからではないでしょうか。
つまり、会社の利益を追及するために仕事があるのではなく、
人間が、それぞれが、自分の完成度を高めるために仕事があり、
そのためには他人と比べて自分ができるとか、
あの先輩より自分のが仕事ができるとかいう問題よりも、
その会社という仕事道において、
経験と実績を作ることのほうが重視されたのかもしれません。
それが、個々人の成長にとって必要である・・みたいな、
そんな感じが、精神の根底にあったかもしれません。
しかし、茶道や剣道でも、
訓練して実力をつけなければ、師範にはなれないわけですし、
経験と実力がきちんとマッチしてはじめて師範になるわけで、
年功序列は、ある意味、実力なくても長年いれば課長とか、
長年いれば部長とか・・それは問題がでてきますよね。
素人プロとの境は一万時間という話があります。
http://matome.naver.jp/odai/2136028774798719601
プロになる目安は1万時間 ビートルズがブレイクした秘密は無名時代の「1万時間」にあったという。
一万時間ってどのくらいよ。
はい、このくらいだそう。↓
http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2011/04/19/10130
一緒に仕事をしている相手のプロがこの「1万時間の法則」を通ってきたと考えると、いろいろと視点が変わってくる場合もあるかもしれません。
毎日8時間を3年半続ければ1万時間を超えるということは、あなたの前にいる若手のWebデザイナさんは、そうした努力を続けてきた人なのかもしれません。また、デザイナーさんが1万時間を費やして身につけてきたデザインのスキルをひっくり返すほど、素人Web担当者やその上司の思いつきデザインに重みはあるのかと自問するのもありでしょう。
なるほど、なるほど。
若手でも一万時間を超えてる人はいますよね。そうですよ。
どんな分野でも、
そういう経験値の高い人は、匂いでわかりますね。
匂い立つものがあります。
皆さんは、意図的に積み上げているものはありますか?