「自分」と「本当の自分」を行き来すること

昨日は知覚の講座でした。
いつもはお昼時間を挟むために時間がぎりぎりなのですが、
昨日は時間が微妙に余ったために、いつもより多い誘導でした。
こういう誘導瞑想は、3本もやると、
かなり情報としてはパンパンな感じがするのではないかと思います。
昨日は4本やりましたので、
ご参加のみなさんはどうだったでしょうか。
よく、こういう意識の世界のことを妄想のように扱う人がいますが、
私は逆だと思うのですね。
この現実世界こそが幻想みたいなもので、
あちらの意識の世界こそが本当の現実だと思うのです。
ただ、意識の世界は物質ではないですから、エネルギーですから、
それを取り扱うには、ちょっとしたコツがいるのだと思います。
意識の世界のエネルギーが、この現象界この現実界を作っているのであって、
どちらが先といえば、あちらが先なんですよね。
意識の世界こそが先。そしてこの現実界はそれが具現化した世界にすぎない。
ただ、意識の世界がこの現実界に具現化するには、
タイムラグもあるし、
また、その人の意識界のクリアさ加減によって、
具現化するのが遅かったり速かったりするのではないかと思うのですね。
直感的に思って、「こうに違いない!」と思ったことが、
実は妄想だったということもありますね。
直感と妄想はどこが違うのでしょう。
妄想というのは、
要するに客観性がない時におこるのだと思います。
自分の願望というのもエネルギーです。
ですから、それも意識界の中に存在しています。
その自分の願望というエネルギーの中から抜け出ることがなければ、
その自分の願望というエネルギーの中で、ビジョン視することになります。
自分の願望というエネルギーは確かに意識界の中に存在している。
だから、決して無いものを見ているわけではない。
でも、その自分という枠を超える、個を超えるということができた時に、
それは普遍的なエネルギーへのアクセスが可能になる。
こうしたことは、どうしたらできるようになるかといいますと、
結局は、普段の生活で、この現象界での洞察力を養うことだと思います。
普段の生活の中で洞察力を鍛えることです。鍛錬すること。
洞察力というのは、自分という枠を超えなければ観察はできません。
洞察力には絶対的に物事を客観視することが必要です。
客観視というのは、その時点で自分を超えなければ客観視はできない。
普段の生活の中で、物事の客観視する力をつけることこそが、
意識界の中で、自分を超えた普遍的な記憶や記録へアクセスする能力を養う事になります。
ですから、普段の生活での洞察力や客観視ができなければ、
意識界の中では自分の願望や自分の恐れ、というエネルギーの枠組みの中でビジョン視することになる。
その中でビジョンを組み立てていっても、
具現化は遅いと思います。
もっと、この現象界を変えていく方法があります。
それはもっと自分の枠を超えることです。
枠を超えたところで、
本当の理想、本当の願望、本当の希望というものに出会うことだ。
その世界は自分のエゴだの希望だのというのを横に取っ払っても、
恐れるに足らず!
そんなちまちましたものをもっと超えた、もっと美しい世界なのです。
そこにアクセスしていく事こそが、
本当の直感の世界へアクセスしていくことになる。
「自分が」「私が」という「我の世界」ではなく、
でも、そこには、そんなことを主張しなくとも、
全てが整った美しい世界なのですよ。
それはつまりは、自分の枠、自分の願望というものを捨てていて、
でも本当の自分の願望が叶っている世界。
私たちは、いつでも「自分」と「本当の自分」という間を行き来しているのだと思います。
というか行き来できないといけない。
これが行き来できないと、とても閉塞感に満ち、
何事も具現化せず、
ただ、いろんなことを妄想しているだけで終わってしまいます。

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