春が来たようだ

春が来たようだ。たぶんそんな気がする。昨日は雨だったり風だったり晴れたり嵐だったり、いったい君は何をどうしたんだ、その挙動不審さはどうしたんだと天気に告げたい感じだった。でもこの春に荒れ狂ってみたり穏やかになってみたりするそうした起伏が春にはどうしても必要で、そうして牡羊座から始まった次のサイクルへの調整を行っているのだ。地球としても次のサイクルに入るには、イライラしたり泣いたりわめいたり、そうかと思ったら機嫌よく笑ったりしたいのだと思う、と勝手に解釈してみた次第。
昨日は個人セッションの後に何気に入ったお店で白いワンピースを買った。ワンピースなのに宇宙人みたいなビニールでできた服だ。その素材の斬新さに、このワンピースはもしかしてレインコートになるのを何かの調子で間違って、ワンピースになったのではないかと思う。そのレインコートになりそびれた白いワンピースを私は即買いした。このワンピースを着て海に行きたい。雨が降っても、きっと大丈夫な白いビニールのワンピースだ。海だって泳げちゃうかもしれない。
ものを考えるには歩きまわるのが一番だ。つい考え出すと私は部屋の中を歩いてぐるぐる回ってしまう。きっと外を歩いたほうが、もっと良い考えも浮かぶかもしれない。しかしガウディは考えながら道を歩いてトリムにひかれた。考えながら歩く場合は、歩く場所を選ばないとならない。散歩道が必要だ。ガウディがトリムにひかれたときあまりにみすぼらしい恰好をしていたものだから、それがガウディだとは誰も気がつかなかった。そしてとても貧しい人が入るような病院に入れられた。この人がガウディだと知った病院の医者はもっと良い部屋に移りましょうと言ったが、ガウディは「いいえ、私の居場所はいつも貧しい人々と共にあるのだ。私はここにいる。」といって部屋をうつらなかった。そのままガウディは致命的な傷のせいで亡くなった。
先日書いたスペインの巡礼路の中にアストゥルガという場所がありそこにガウディの立てた教会がある。
palacio-episcopal-de-astorga.jpg
http://gaudi-architectural-work.com/building/palacio-episcopal-de-astorga.html
この建物は実はサクラダファミリアよりも私は感動した。この内部は本当に美しい。普通にスペイン旅行する人はまず立ち寄らないであろうから、あまり知られていないと思うのだが、本当に美しいのだ。巡礼の旅をした人だけが楽しめる醍醐味の一つともいえるだろう。そう、散歩道があって外を歩く気になればこんな場所だって行けちゃうのだ、という例。巡礼は散歩と違うという話もあるが、長い散歩道が巡礼路なのではないのか。あまりに考えることが多すぎるとそれは巡礼路になるのだ。たぶん。
一昨日は、またチャネラーさんに来ていただいて、いろいろ探索した。そして、帰宅後にはっと思いついたこともあり、やってみたいことがある。それを思うとなんだかほかのことが手につかなくなって、やるべきことが進まない。
音楽教室の発表会の準備ももう完全にやらなければならないのに、パンフレットももうできてていい時期なのに、全く進んでいない。集金もしていない。連絡もしていない。いろいろダメダメすぎる。「ダメだろ、自分」と思うのに、どうもダメだ。やっぱりダメだ。いやいや、そんなこと言ってないで、ただやればいいだけじゃないか。ダメとかなんとか関係ないし。だけどダメなんだ。やっぱりダメだし。いやいやいやいや、だからダメとか関係ないし。ただやればいいだけだろ。それでもね、チャネラーさんをヒプノ誘導するってのは本当に面白い。(←やっぱりダメかもな)

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