自分の価値、才能。

意識の世界がなぜ面白く、なぜ凄いかというと、
そこにはなんでもあるからだ。
なんでもある。
そして意図さえきちんと定めれば、確実にそのことにたどり着く。
しかし、そこにたどり着いたとしても、
その情報を、この世に形にしなければ、
情報をとったとしても意味がない。
これはほぼ自分に言い聞かせている話だ。
まずは情報を取ってくることが必要だ。
これを取ってこなければ、
人はそれをやろうとさえ思わないからだ。
例えば、私は或る日或るとき、ヒプノを受けていて、
精神的に膠着状態となった集合無意識体にドーンとぶつかった経験をした。
それは、自分としては筆舌に尽くし難い、
心身が打ちのめされたような経験だった。
「魂の自由を失った」とそこには書かれていた。
私はこの経験が自分のヒプノセラピストとしての人生を支えている。
魂の自由を失ったのは、他人でもあり、自分でもある。
私はそれに出会ってしまったのだから、
それは自分の一生のテーマとなるだろう。
いや、テーマとしなければいけない。
テーマとしないならば、
それは、意識で得た情報をこの世に生かさないということになる。
この世に生かさないならば、
きっと人生は無意味だ、とさえ思う。
情報過多の時代。
いくらこの世で人生テーマを探そうと思っても、
見つけることは難しい。
テーマはいつでも自分の内にある。
自分の内に入って探さなければならない。
そして見つけたら、それを
この世に形にしなくちゃいけない。
私自身、ヒプノを何十回と受けてきたが、
その中で圧倒的な体験をするときがあった。
それによって、人生の推進速度が変わったように思う。
私のサロンに、
毎月、毎月、ヒプノを受けにくる方が、
どんどん変化していくのを見ると、
この方は、この方の花を咲かせるのだなーと思うと、
本当に、この世に才能のない人は誰一人いない、と強く感じるのだ。
この世はとかく、権威主義で学歴主義。
しかしそんな権威や学歴などくそくらえなのだ。
この世のそうした価値観を圧倒的に超えて、
自分だけの才能を開花することは本当に可能だ。
しかし、それには、
この世のそうした価値から抜け出なくてはならない。
それには、自分自身にガッツリ入り込まなくてはならない。
意識の海に飛び込まなくてはならない。
そうしたときに、他人との比較ではない、権威や学歴ではない、
自分自身の圧倒的な才能を、圧倒的な価値を見出すことができるのだと思う。

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