私達の魂は実はもっと完全な愛を知っている。

花巻のブレスワークに行ってから、

毎日が、発見の連続で、

俺はこれからどうなってしまうのかと思わないでもない。爆

そうしたら、一緒に行ったFさんもそういう状態になっているらしい。

「前の自分とあまりに違いすぎて、どうしようかと思っている」

と言っていた。

何か本を読んでいても、その奥の理由まで感じ入り、

誰かのビジョンを聞いていても、その奥の魂の作りまで感じ入り、

ああそうか、とその原理までありありと感じ入り、

もう、私は、前の自分には戻れないだろう。

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私達は生まれたばかりのとき、

「次元の違う完全な愛」を知っている。

しかし親は、人間として生まれて数十年たち、

それを忘れた存在と化している。

親がどんなに善良で、どんなに子供を愛していようと、

赤ちゃんが知っている完全な愛からみれば、

人間の愛など不完全で欠陥だらけなのだ。

なので、親がどんなに善良で、どんなに子供を愛していようと、

子どもは傷ついている。

子どもが求めているものは、完全な愛だからだ。

それは人間が与えられるようなものとは次元が違う。

私達がこの世で生きていくとき、

人間として生をうけて、どのように傷ついたかを、

まず理解しないとならない。

完全な愛と比べて何が足りなかったかを知らねばならぬ。

それを認識できないうちは、

私達はスタートラインにすら立てないのだ。

「いい家庭にそだち、何も不自由ありませんでした。」

その見解は、あなたが人間として大人になって、欠陥を許容したときの見解だ。

あなたがもともと知っていた、次元の違う完全な愛と比べたならば、

どんなにいい家庭で育ち、どんなに不自由がなかったとしても、

あなたは、何かを失ったはずなのである。

そうして、私達は、その完全な愛と比べて、確実に失ったもの、

その失ったものに振り回されて生きる。

だから、その「失ったものの、正体をしらねばならない」のだ。

失ったものは、どんなにいい家庭で育とうと、どんなに不自由なかろうと、

絶対にあるのだ。

なぜなら、私達が赤ちゃんだったとき、

つまり私達の魂がもともと持ってる「それ」は、

そんな、何も物質的に不自由ないとか、

そこそこ満足できる愛情とか、

そんな薄っぺらいものではないからである。

ブッタやマザーテレサや、ガンジーなども、裕福な家に生まれ、

おそらくそこそこ良い親に育てられ、

何不自由なかっただろう。

しかし、彼らだとて、自分の魂が本当に知っている完全な愛と比べたら、

自分が生まれた環境が劣悪であったことに、

魂のどこかで気が付いていたはずだ。

彼らは、自分の知っている完全な愛の正体を、

普通の人よりもっと如実に感じ取れただろう。

それが彼らの活動を支えたのだ。

あなたも、あなたの魂がもともと知っている、

次元の違う完全な愛の全貌をしらないとならないし、

そこから何が欠けたかをしらないとならない。

そうじゃないと、ずっと心の奥底で、

無意識に、まったく無意識に

親を憎み、人を憎み、この世を憎み生きることになる。

失った完全性の傷を何かに復讐しながら生きることになる。

そのような状態では、

あなたの活動、仕事、発言、全てが、

何かの復讐にしかならないのだ。

しかし、それらは治療できる。

ただ、ただ、その完全性を、認識して、

できることならば、再体験するといいだろう。

自分が魂の奥底で知っている、その次元の違う完全な愛を、

体験するといいのだ。

私は、今度の、地球外生命意識体とのコンタクト講座で、

これを体験してもらいたいと思っている。

楽しみにしていてください。

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