多くのみなさんは、人生が不確実で、
思いがけない不幸が次々と起こっていると思っているかもしれません。
幸不幸は、いつでも自分の意志とは関係なく、起こっていて、
人間は、いつでも時代に振り回され、
不慮の事故に出会い・・・。
だから、何が起きても受け入れよう!
何があっても大丈夫な自分になろう。
必要以上の欲望を持たず、
風になびくように生きるのがいいんだ!
そうすれば、楽に生きられる!
そもそも、私なんていないんだ!とか。。
そんな風に思っているかもしれません。
はっきりいって、それらは全部、嘘です。
あなたの周りを見回してください。
みんなずっと同じ人生をやっていませんか?
昨日FBで菊地さちよさんが
「人間関係はどこに行っても同じ」という記事をシェアされていました。
ほんとそうだなと思いました。
誰かに怒られる人は、ずっと誰かに怒られてるし、
人を批難する人は、ずっと誰かを批難しているし、
怪我する人は、何度も怪我するし、
交通事故に合う人は、何度も交通事故に合うし、
病気がちな人は、ずっと病気がちだし。
人間関係も、どこ行っても同じ。
いつも同じパターン。
人生が不確実!?
自分は、それを受け入れるしかない?
それは違います!
人生は間違いなく自分で作っているのです。
この自分で作っている設定を読み解いて、
設定を手放し、
設定を変えていくこと。
これを引き寄せの法則というのです。
この言葉がうさんくさい感じがすると言ってる人がいました。
引き寄せとか言わなくてもいいんです。
人生は自分で作ってると言えばいいと思います。
引き寄せっていっても、願えばかなうかっていうと、
願っただけでは、叶うわけありません。
例えば昨日の私の記事で書きましたが、
私が、「男はいや」「復讐してやる」
という設定で、
仕事で成功したいんです、と言ってもどうでしょうか。
そこそこは行くでしょうけれども、
ある一線から、非常にやりにくそうだなと思いません?
そして、その設定によって、引き寄せるもろもろのこと。
男は嫌な存在で、復習の対象ですから、
必ず男の人からムカツク攻撃をうけるでしょう。(爆)
そんな設定をしているからそれを引き寄せるのです。
もし仕事で成功したいとおもうならば、
いちいち男性から攻撃されていたら無理ですよね。
余計な不必要な設定を解除しなければ、ムリですよね。
たとえば、私の例でいうならば、
お父さんもお兄さんも私を愛してたというその事を、
シミジミ実感していくことが、
「男はムカツク存在」という設定を解除する唯一の手段です。
まじで、お父さんもお兄さんも私が本当にかわいかったんだと思います。
それこそが本当の現実なのです。
小さかった私は、
男の人のあらあらしい感じとかが大嫌いで、
特に兄とか、
男児特有の、意味不明な嵐のようなあらあらしさとか、
超意味不明だと思っていました。爆
コイツ何者?みたいな。爆
臭いし、うるさいし、わけわからんこというし、乱暴だし、
居なくていい存在。それが男。みたいなね。爆
でも、それは私が小さいがゆえにした勘違いなのです。
お兄さんもお父さんも、本当に私を可愛いと思っていたのです。
それを繰り返し、繰り返し、自分に言い聞かせていくことが必要です。
かならず、私の無意識ちゃんはそれに反応していくでしょう。
だから
「お父さんとの関係を改善すると、仕事で上手くいくようになる」
と先生は言うのです。
仕事はお父さんとの関係。
男女問わず、お父さんとの関係が関与しています。
お父さんを嫌っていて、
仕事で上手く行きたいと思っても、
何かその関係でよからぬ設定をしていれば、
それが顔を出してくるでしょう。
父とは「色々あったけど、今は感謝しているよ」とか
そんな生易しい感謝ではダメなんです。
それって、ただ臭いものに蓋してるだけなのです。
今は感謝しているといいながら、
腹の中では、色々あったことにフォーカスしていて、
それを人生の設定にしています。
私なんか尊敬している!と思っていましたけれども、
尊敬していてもダメだったのです。
必要なのは感謝や尊敬というよりも、
「愛されていることを知ること」だと思います。
親には必ず愛があるんだと先生は言います。
必ず愛がある。
子供はそれを知らないだけ。
気付かないだけ。
当たり前すぎてわからなかっただけ。
どんなに叩かれようが、暴力ふるわれようが、
必ず親には愛がある。
その愛が子供には見えなかっただけなんだ、と言います。
それがわかると、この世には愛しかないのがわかってくる。
それが本気でわかった時、
人生でできることは無限に広がってくるのですね。
その精神から引き寄せる人生がどんなに豊かわかるでしょうか。
引き寄せなんかない!なんて思想は、本当に貧相です。
人生は引き寄せでしかないのです。
コメント
由美さんこんにちは。
現在、soraヒプノシス中級で学んでいます。
ふとこちらのブログに飛んできて、過去のブログを読み始めたら夜な夜な、読むのが止められなくなって、アーカイブを読みあさっています。笑
そして、泣きながら読んでいます。
ほんとうだ。その通りだ。と思いながら。
以下、書きたくなって、勝手に言語化アウトプットをさせてもらっている感じなので、
何卒、ご了承ください。
私にはたぶん、深い悲しみからくる怒りなのか、何かしらの怒りがずっとあって、
でも出せない自分があるところに、同じ、あるパターンが現れているんだろうな、と思いながら、原因がまだ見えない。インナーチャイルドであることは確かだ、と思っているけれど。中級で練習していくと思いますが。
いつも、「明るくて、しっかり者」と小さい頃からイメージを持たれ、自分でも確かにポジティブ思考が強いと思う。
でも、まんまの自分を出せない、出したら否定されそう、と恐れを感じる時もある。
なかなか「人に頼む」という事も苦手。
でもこの感情は、けっこう素通り。
由美さんのブログにあった、「臭い物に蓋をする」思考が、わたしのポジティブ思考を促しているようにも思える。いや、そうなんだろうな。
ポジティブ過ぎにしておいて、自分の醜い部分を見たくない。感じがする。
その感情の種が、まだ見えてこない。
話変わって、
祖母が、私が出産した直後に「たっくさん愛情を注いで育てたら、絶対に悪い子に育たないんだからな」と言った言葉がすごく心に響いて、一時も忘れません。
娘のことは心から愛おしいと思って、何かと気づかせてもらっているが
夫に対して「娘に愛情抱いてるか?自分都合しか考えてないだろ」という不満にまた怒り、でも無視することで波風立てない生活を続け。
そんな雰囲気は3歳半の娘はとっくに感じていて。ブログの『天から、「今こそ動けー!」と言われている』瞬間なのかとも感じ、でも引け越しになって、ラクを選んで動けない
どうしよう。でもこういう時。自分が「決める」。のだ、と。
分かっている。ああぁ、、、みたいな。
また話が変わり、1年前くらい前に見た夢だろうか。
強烈な印象に残っている夢があった。
夫が病気か、怪我か、死にそうになっている状況で、私は娘に「救急車よんで!」というようなことを言っている。
場面が変わり、私は両手を組んでいて(祈る時のような、手を合わせる感じで)、その両手を開いて離そうとして、頑張っても、開いたと思ったら、強力磁石のようにすごい力でまた両手がくっついてしまう。
また場面が変わり、私が一人で病院のようなところに行って、なにか話すと
「あなたはもう、死んでいるのよ」と言われた!
え、と自分の身体をみると、血だらけになっていて。
そこで目が覚めて、めちゃくちゃ恐ろしくなりました。
え・・・生きてる感覚でいるのに、死んでる?!何なんだ?
書き出してみると、
今の環境では、私は死んだように生きている、ということなんだろうか、だから家を出るべきなんだ、とも思う一方、この家族内の人間関係は、私の潜在意識が変わったら、変わるのだろうか、でもこの、幼少期に問題アリアリだった夫が変わるとは思えない。
(でもこれもやっぱり私の思い込み、、)
家を出た方が、お互い、自分らしく心地よく生きれるだろう、と思いながら。
つらつらとこんなところに書き出してしまい、失礼いたしました。
谷川俊太郎さんの詩を引用していたところも、泣きながら読んでました。
生易しい感謝では、ダメなんだ。というところも、じわじわ感じています。
負と呼ばれる感情を、見ることができる段階になってきているのか。
一期一会を精一杯、生きなければ、申し訳ない、そんな気分です。
この場を作ってくれてありがとうございました。