昨日、この動画をみていたのですが、↓
めちゃめちゃ笑ながら、わかるわーと思いました。
最後のほうは、こりゃ笑えないなって。
内容は、私たちの中には、
理性的意思決定者と、すぐに褒美が欲しい猿 がいると。笑
すぐに褒美が欲しい猿は、簡単で楽しいことしか求めていない!
この猿と、意思決定者って、まるで母と幼児って感じがします。笑
母親はこの猿あいてに、子育てしてるんですよ。
幼児は1時間後どうなるかさえわからない。
そんな幼児の自分を私たちは、未だに自分の中に抱えているのだと思います。
つまりこの動画の猿って、インチャの事ですよね。
そして、この話しのなかで、
「個人事業主や芸術家のような起業的な仕事の場合、
最初は締切がありません。
出かけて行って何かをし、軌道にのって走り出すまでは
何も起こらないからです。」
という話しがありました。
つまり個人事業主ってかなり精神が大人でないとむずい仕事なんだって思いましたよ。
また、
締切があるものはいいけれども、人生には沢山の締め切りのないものがある、
という話しに展開していきます。
こじれた人間関係の解決だとか、
「長期的な先延ばしは、自分の人生にたいして、傍観者のように感じさせてしまう。
彼らの苛立ちは、夢を実現できないことではなく、
夢を追い始めることさえできないでいること」
自分が先延ばしにしていることは何なのか、気づいてください!と。
そして猿の存在を認識している必要がありますよ!と。
ふむふむ。
そうだよなー。
つまりこのインチャの野放しっていうか、インチャの言いなりの人生を、
私たちは歩みたいのですか?っていう、問題提起なんだと思いました。
ここからが本題なんですけど、(前置き長かったな。)
このうちなる猿を躾けるとか、インチャを躾けるとかいう時に、
私たちは、いちいち「できなかったー」とかって
自己嫌悪に陥る事があるかもしれませんが、
それってすっごく無駄なんですよ。
自己嫌悪に陥るとき、
なんのために自己嫌悪に陥りたいのか、って考えたほうがいいと思うんです。
なんのために自己嫌悪に陥りたいのか、です。
私たちの行為にはすべて、なにかメリットがあるんです。
なんか、こうすると美味しいって思ってるんです。
自己嫌悪という事でさえ、なにかメリットがあって、自己嫌悪なってるんです。
自己嫌悪でいれば、ゆるされる?
自己嫌悪でいれば、自分はゆるしてないんだと思う事で安心?
自分で良いと思わないことで、正当化?
自己嫌悪することで、目標に向かっている自分を感じる?
先日、私はなぜ突然7キロも太ったのだろうと、
そのメリットはなんなんだと考えたんですよ。
そしたら、私の無意識ちゃんは、
太ってる=ラク、安楽、と思ってるらしく、
それまでの私は苦しかったと思ってたらしいんですわ。。
苦しかったということにしたい自分を見つけちゃいましたよ。
うっそー、それ勘違いだからー!!
即効でツッコミ!笑
苦しいとか自己嫌悪とか、そう思う事で、
なにか今の自分を自己正当化しようとしている自分がいます。
そこ見つけてほしいんですね。
先日「勝たなければ羽生結弦ではない」というセリフの話がありましたが、
勝たなければ羽生結弦ではないと思う時に、ここに自己嫌悪はないんです。
むしろ、自己肯定感の極みなんですね。
この自己肯定感の証明として勝つ、そんな感じです。
なにかできない時、できなかった事で、
いちいち落ち込んだり、穴を掘って、気分的に沈んだりするのって、
意味なくないですか?爆
そんな気分を味わう暇あったら、他のことしようよって思います。
なんのために落ち込みたいのか、ってこと。
考えてみてください。笑