昨日は、Hさんからメッセージで「ブログが面白い。こういうビジョンの話をどんどん書いてほしい」というコメントを頂いた。とっても嬉しい。ありがとう。
昨日はフェイスブックでも、初めてお話しする人からブログが面白いというメッセージが届いた。ありがとうございます。嬉しいです!!!
先日、浪江さんからもブログが面白いというご感想を直に聞いて嬉しかった。
浪江さんとの会話。
浪江「私、ここ数日、ずっと谷原さんのこと考えていたんです。」
谷原「はっ・・・?」
浪江「ブログを読んで、なんて面白い人なんだろうって。」
谷原「あ、ありがとうございます。」
浪江「この前の続きって、お話ししてもらえますか?」
谷原「いや、、、それは。」
浪江さんは昔の日本映画の女優のような、地球人にまだ慣れてない綺麗な金星人みたいな、独特の話し方をする。
「この情報と感情を日本語でいうなら、地球語で話すなら、どの言葉を選ぶべきか?」という思考のタイムラグみたいなものがあり、言葉と言葉の間に、独特の香りをかもしだすのだ。そして発せられた言葉には、ほかの人にはない浮遊感がある。
「この間の続き」というのは、浪江さんが地球に来る前どこにいたかの話で、
浪江さんは、宇宙人色が濃厚なので、誰もがすぐわかると思うのだ。
こんなわかりやすいことをどうして本人はわかってないのだろうという部分が、私にはとてもツボだし、
また、それを知ってしまったら、もしかするとこの浪江さんの独特のこの行間の香りが失われてしまいやしないかと、思う。
でも、それを教えろと情報公開を迫られている私であった。
とりあえず、それは極秘なのだ、ということにしておこう。そういうことにしておこう。
しかし、みなさん、こんな偏狭な人間のブログが面白いだなんて、みんなオカシイかもよ。
昔は音楽ブログをガンガンに書いていた。その時もブログが面白いというコメントを多々いただき、その時も嬉しかった。
それは、私が自分の好きな音楽家について煮たり焼いたりするブログである。
ほとんど、音楽家フェチの私としては、とくに若い音楽家が好きで(爆)ひたすら煮たり焼いたりし続けるブログであった。
この人のこの、「ここ」の演奏が、たまらない、とか、どぅだめる様~~!!とか叫んだりしてたブログである。
もう、巨匠とか言われてるような人には私は興味ない。巨匠は巨匠の音楽しか奏でない。巨匠の音楽なんかくそ食らえで聞きたくないのだ。
もう、博物館にでも飾っとけばいいような音楽に興味はないのである。
それよか、これからどう転ぶかわからないような若い音楽家がたまらなく好きだ。
そして彼らのほうが、演奏が真剣である。
若い音楽家にとって、一回の演奏会は、自分のその後の一生の人生がかかってる。
こんな命がけの真剣な素晴らしい演奏は、若い演奏家にしかできないのだ。
この素晴らしさが、わかるかっ!!!と私は音楽ブログでは言い続けていた。
よく、音楽やってる人で、巨匠の音楽しか聞かないとかのたまう人がいる。「は?」と思う。
巨匠はもう巨匠となってしまったので、だらだら弾いてるにすぎない。巨匠と呼ばれるような人の演奏会にいってもつまらない。
そういう人の音楽しか聞かないと豪語してる人は自分の耳を信じていないのだ。世間から「すごい」と言われてる、その他人の評価しか信じてないと言える。
しかし、この世にはもっと感動して、もっと素晴らしい演奏をする音楽家がこの世にはいるんだという事実をその人は知らない。
この音楽業界で売れる、売れないはただのコマーシャルに過ぎない。
真剣に、命がけで音楽をやってる人は世界にたくさんいるのだ。
YOUTUBEなんかで、アマチュアでも、プロよりすごいな、と思う演奏家の動画なんかもある。
そういうのを見れば一発でこの世の現状など把握できるはずだと思う。
良い時代になったものだ。
コンクールの配信動画なんか見てみれば、一発でこの世の仕組みがわかる。
本当にすごい演奏家は一位にならない。
ではだれが優勝してるか。もうそれはひたすら政治力である。
そんなの配信動画をみれば一発でわかる。
世界中の人がわかることだ。
コンクールを主催してるほうは、素人耳をバカにしている。
世界中の人に「これは政治力です」というのをこんな風にさらしてしまってるということに気が付いてない。
でも、それは今や、このネット社会では、全部さらけ出されてしまった。
昔から、共産党員しかコンクールで優勝できないショパンコンクールは脈々とその続きを演じ続けている。
未だに共産国しか優勝できないのだ。
いいのか、それで!! とか思うが、閉鎖的なクラッシック業界も、そろそろ崩壊することだろう。
今日の私は、ピアニスト谷原である。 人前で演奏をしなくちゃならない。
気合入れて頑張ってくる。