ピエドラ川のほとりで私は泣いた

パウロコエーリョの作品に「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」という小説がある。
愛とか恋とか本当の愛とか、そこに信仰とか神とか心の声を聞くことか、内容はそういう話なのだが、
感動したというレビューが沢山あるので、感動的な話です。
(どんな解説、超適当すぎるだろ・・・・汗)
いや、私は、あんまりどうでもいい感じがしてしまって、とても入れない話だったので。
そんなことより、奥さん! 
このスペインの舞台となったピエドラ修道院って、凄いんですよ! 
私はスペインのサラゴサに以前住んでいたことがあるのですが、
そのサラゴサからバスやタクシーを使って2~3時間の所にピエドラ修道院はある。
だいたいスペインのサラゴサというのは、町の外にでたら、とても生きていけないだろうと思われるような
木も草も生えないような赤茶けた大地が地平線まで続いている。
0202_01.gif
これは↑火星の写真だが、この写真はサラゴサで撮ったに違いないと思える感じだ。
ピエドラ修道院はとても辺鄙なところにあって、日本人観光客はまずこない。
だいたいサラゴサ自体日本人なんかまず目撃しないような場所だ。
サラゴサは大きな都会だが、マドリッドとバルセロナの間くらいにあって、日本でいうなら大阪と東京の間の名古屋みたいなものだ。
名古屋人に変人が多いのと同じで、当然、サラゴサも変人が多い。
スペインでは変人ということで、それは日本的変人とは違う。
サラゴサ住民は明るくないしフレンドリーでない。それがスペインでいう変人だ。
このサラゴサにしばらく住んでからバレンシアに行ったときの、あの解放感。同じ国とは思えない解放感だった。
ピエドラ修道院には、その変人の多いサラゴサからバスとかタクシーとかを使っていかなきゃたどり着けない。 そしてそこは、超すごかった。
何度も言うが、ピエドラ修道院に行くにはバスを乗り継ぎ乗り継ぎしないとたどり着けない。
その道中、上のような火星のような大地を延々と走るのだ。
着いたよ、と言われ、は?と思う。 どこにあるんだ。
ここだ、といわれて中に入って驚いた!!
なんだこれは!

そこは火星の大地にクレーターのようなくぼみがあって、そのくぼみの中だけが、オアシスになっているのだ。
ああああああ、ピエドラ修道院のパンフレットがどこかにあったと思うのだが、探すのが面倒すぎるので、
言葉で説明できないけども、説明しよう。
火星の大地(サラゴサ)にあるクレーターはかなり巨大である。大地に突然穴があいているのだ。そこに入ると、忽然と緑と滝。
滝というのは山から落ちてくるものという日本人の概念があると思うのだが、
大地のくぼみにもできるのだ。(あたりまえかな?)
どっからこんな火星のような大地からなぜ、こんな水が!という驚き。
忽然と現れた緑と水に驚きだ。
そこは大地に出来たおへそみたいな感じなので、ものすごい気が発しているのだ。
シンクストックの写真。有料写真なので、ここに貼れないのでリンクします。
cascada de los fresnos
↑借りてきた写真。
これらの写真をみても、まぁ、普通の滝と緑じゃない?と思うと思うのだが、
想像してほしい。
この滝のあるクレーターの外は火星なのだ。
0202_01.gif
これらの緑と滝と湖は、断崖絶壁の巨大な穴の中にあるのだ。そしてそこは全体が修道院になっている。
恐ろしいほどの透明な湖があり、断崖絶壁の崖にはそこここに洞穴があり、修道士たちが瞑想した場所がある。
もちろん壁を登らなくては入れない感じで、どうやって入ったんだろうなぁと眺めるしかない。
この巨大クレーターの中を一回りするのに2時間くらいはかかる。
私はこの修道院に数泊した。
修道院は昔、修道士たちが寝泊まりしたような部屋に泊まるのだが、
当然こういう場所では眠りが浅く、寝つけない事が多い。
キリスト教というと、一定の固定化したイメージしか日本人は描けないと思うのだが、
一言にキリスト教といってもそれは多岐に及ぶように思う。
スペインのキリスト教というのは、非常に実験的な気がする。
そして、そうしたことは、表には絶対に出てこない。
こんな場所で、こんな所で、一体どんな修行をしていたのかと思うと、それは
まあ、凄いだろうな。。と簡単に想像できる。
人里離れた、人に知られないようなオアシスがあって、そこで修道士たちは日々水と星を眺めながら神と精霊と戯れていたのだ。
ピエドラ川のほとりで私は泣いた。 感動の涙である。

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