注意!
綺麗な文体で書けそうにないので、
ほとんどメモのような日記です。
統合化するというのはどういうことだろう。
それはおそらく、
例えば他人の中に「こういうのって嫌だよね。好きじゃいな」と思ってるような側面を見つけた時に、
それが自分が嫌だと思って自分の中から追い出してる側面であって、
たとえば、〈優柔不断な人が嫌い〉 というのがあったとしたら、
それは自分が自分の中から追い出してるような性質であって、
なぜ優柔不断が嫌いなのか、ということを想起すると、
結局は自分が一番恐れている自分だったりするのだ。
〈頭の悪い人が嫌い〉とかだったら、
頭の悪い自分になることを一番に恐れている。
それは自分の逆像として追い出しているのだ。
しかしよく考えてみれば、
〈頭の悪い自分)は自分の中にあるし、
(優柔不断な自分)も自分の中にある。
しかしその側面が決して表にでないように、反対側に反対側に自分を成長させてきた。
しかし、その反対側の自分は決してなくなるわけではなく、
いつでも本当はそこにいる。
その反対側の自分を受け入れていくことだ。
天体には深度があるらしい。
その深度というものを考えた時、
例えば、乙女座は地球という実にファジーないつどこで何があるかわからないような天体にいれば、
とても乙女座的な几帳面さを発揮するのは神経も使うし大変なことなので、
乙女座はせっせと分析して批判することになる。
それが恒星的な深度の深さをもてば、恒星的な揺れのなさというか、
そうしたものを内包することが容易かもしれない。恒星領域ではとてもおおらかでいられるだろうと思う。
目的だけを見て実務を実行することが容易だ。
乙女座の几帳面さは深度が深まればじつにおおらかということだ。
揺れのない恒星領域では、余計な分析の必要がなく、おおらかでいられるように思うのだ。
つまりそれは、乙女座の逆像を内包することが容易だ。
水瓶座であれば、それは地上にいればべたべたしないし、自由と博愛を重んじるかもしれないが、
それが恒星領域ともなれば、あらゆるものを繋ぐ役割をするだろう。
それは地上では人とくっつくことを嫌がっているが、恒星領域に入れば、
その逆像である、くっつき繋ぐということを積極的に行うということ。
恒星にいくというのはそうした反対側のものを
受け入れていくことであって、
そのあたりの意味あいがわからないといけない。