チャネリング・ 自分の枠とそこから抜け出ること。

最近、ひょんなことから出会ったチャネラーさんがいる。
私はチャネリングというのを今までに体験したことがなかった。
それは、「人が受け取ったビジョンは、その人のフィルターを通したものでしかない」
と思っていたので
チャネリングを受けるという気持ちになったことがなかったのだ。
私は自分が受け取ったビジョンにおいても、そう思っている。
私は子供のころから知覚の良い子供だったとは思うが、
私のビジョンは私の中で通用するビジョンであって、
万人に通用するものだとは、これっぽっちも思っていない。
なので、私は自分が個人的に知覚したビジョンを、
誰かに提示したり、あなたは○○ですね、などというつもりはないし、
したことがない。
それは他人に害を与えるばかりだ。
余計な先入観を他人に与えるのは罪だ。
シータ波リーディング会などは全く別だ。あれは練習会だから。
たとえ自分のノイズが入っても集団でやればそのノイズはカットできる。
しかし個人でやる場合はそうしたノイズカット機能がない。
だいたい人というのは常にいろんな心的風景を見ているものだ。
その心的風景と宇宙のメッセージとをごちゃまぜにしている人は多いし、
その境界線がまったくわからなくなってる人も沢山いる。
そして、私は私の知覚が時に正確である場合もあれば、
自分の感情に左右されて正確さを欠いている場合もあることを
私は「知っている」のだ。
しかしだ! 本当に能力ある人というのがいるんだよ!ということを私は知った。
最近、知り合うことができたそのチャネラーさんである。
とても的確な的中率で、私は感動した。
すごい!すごいのだ!
ああ、こういう人が本当にいるのだ、という感動があった。
私がひそかに予定してた未来の事も言い当てられた!!
その方は、「自分はこんなですから、社会的には不適応ですが、チャネラーとしてはやっていけます」というようなことを最初におっしゃった。とても謙虚で奥ゆかしい方である。
そうして、自分のことは手放し、人に同調する力があるので、だからビジョンが的確なのだなと私は思った。
私には、彼女が自己をするりと手放してるのがよくよくわかったのだ。
それは波動として伝わってくるのだ。
自分を手放せない人は、つまりは自意識の過剰な人は、
だいたいにおいてノイズが大きくなる。
そして、本人はノイズをノイズとも認識できない。
何度も言うがビジョンというのは、「自分」を手放さなくては正確なものはとってこれない。
また、自分のとってきたビジョンを客観視できない場合もノイズが多くなる。
ここで大切なのは「解釈者」だ。
知覚したものが正しいかどうかを客観視する「力」が必要である。
これがなければ他人を観ることなど不可能だろう。
その凄いチャネラーさんは、一言、受信するたびに
「なぜ、今このセリフがでたのか」
ということをかならず吟味していた。
すごい知覚者とすごい解説者を同時に発動しているのだ。
それはもう、感動なのである。
ビジョンには二種類あるのだ。
それは自分の心的風景と、自分の枠を超えた時間と空間を超えた情報。
自分の枠から抜け出れない人は、この心的風景から抜け出ていない。
心的風景にもかかわらず、自分は○○というメッセージをもらったといって、主張する人がいるが、
主張する前に自分の枠を外す訓練をしてもらいたいと思う。
とても注意したほうがいい傾向として、
「みんなにはわからないかもしれないけれど、私にはわかるんです」というセリフを吐く場合は、
とても自分の枠の中にいるので注意したほうがいい。
自分の枠を手放せている人は、こうしたセリフは吐かない。
このセリフには「自意識過剰な心理状態」が隠されているのだ。
他人と自分を比較している時は、自分の枠を外せていない。
自分を特別視しているときは、人は自分の枠内にいるのだ。
これは自分を手放している人は絶対に言わないセリフである。
注意していただきたいのは
ここでの話題はチャネリングや他人を見る場合についてのことである。
自分の前世を見る場合はそれは自分の枠内のことなので、
ここまでの注意はいらない。
自分の心的風景の中を漂いながら、宇宙のメッセージを受信する。
そこを行ったり来たりしながら、
ある日、圧倒的なビジョンを体験する。
それがヒプノセッションである。
なので、チャネラーじゃなくても
全くの初心者でも、
誰もが、多くの気づきと理解を体感するのが
ヒプノセッションと言えるだろう。

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