「何か成し遂げよう、達成しようと思ったら、一生それを思い続けなさい。
それでもダメだったら二生目も思い続けなさい。三生目も思い続けなさい。
そうしたら四生目には必ず成る」という岡潔さんの言葉あるそうです。
森田真生さんが、ツイッターで発信していました。
それを読んで、
私は、そうした心意気を音楽家たちに感じます。
一昨日のレーピン君とか、キーシン君とか、もうこういう人たちは
四生目くらいなんだろうな、と思うのです。
仏陀の話もありましたね。
ジャータカに仏陀の前世が書いてあり、
色んな輪廻転生を経て一環して正直で自己犠牲的あったというようなお話です。
インドの昔のマハーバーラタとか、ああいうのにでてくる正直さって半端ない正直さです。
人の命がかかってるような、自分の命がかかっているような究極的な場面ですら、
それで自分が死のうと、殺されようと、正直でいろというようなお話しがバンバンのっています。
そうすることによって、「神に守られるのだ」
「ダルマがあなたを守るのだ!」という一貫したインド哲学の神髄がありますね。
インドのお話しの凄いところは、そのまさに究極的な場面で、
奇跡が起こるわけですが、
現在のインドではそこで奇跡は起こらずに普通に死ぬのではないかと思います。
しかし、お話の中ではそこで奇跡が起こるわけです。
どんな奇跡かというと、毒でさえも、神への信仰がある人が飲めばそれは甘露である!というような、
そんな奇跡です。
しかし、こうしたお話は、裏を返せば、毒を飲んで死んでるようならば、
信仰心の足りない人なんだ!みたいなレッテル貼りのように感じたりもします。
日本はまだ理屈が通る国だと思うのですね。
でもインドのように、理屈とか理論で相手が納得したり理解したりしない国ってある。
毒は毒だし、盛るほうが悪い。 それが理屈ですが、
インドとかだと、それを飲んで死ぬ方が悪いというような、
そんな理屈が普通にあったりします。
そこまで理不尽ではなくても、
まぁ、なんとなく薄く全体てきに理不尽な国だなと思うのですよ。
カースト制度とか男女差別とか。。
理屈が通るということのほうが、
よっぽど信仰が厚いと私は思うのです。
信仰とは何かといえば、それは人間の尊厳を守ることだと思うからです。
差別や選民意識は信仰が無いからおこるのだと思います。
「何か成し遂げよう、達成しようと思ったら、一生それを思い続けなさい。
それでもダメだったら二生目も思い続けなさい。三生目も思い続けなさい。
そうしたら四生目には必ず成る」
そこまで達成したいと思う事ってありますか?
でも、普通にみんなこれをやってると思います。
実は無意識にみんなこれをやっているのです。
前世療法していると、だいたい、みなさん何世代もかけて思い続けている事がある。
達成したいと思っているテーマがある。
今を生きてる私たちにはそのテーマは意識しにくいかもしれませんが、
誰にもそうしたテーマがあるように思います。
私は人生の前半は、来世ピアニストになるためにピアノの練習してたんですが、
なんかちょっと、なにかに方向転換させられて、今に至ります。
でも、それはやっぱり前世を見に行くと、
あ、こちらのほうが、自分のテーマだったなと思うのですよ。
でもそのテーマをするために、音楽をやって鍛えてきたんだと、
今では都合良く解釈しています。