昨日は実家にちょっと寄ったときに、
押入れから小学校の時の通知表がでてきて、たまげました。笑
今でこそ、通知表は全部パソコン打ちになっていますが、
昔は先生の手書きで
コメントなどついていて楽しい。
小学校の通知表をみると、いつもいつも、どの学年でも、
「理解力に優れるが、ケアレスミスが多い」とか(笑)
「算数が良くでき、理解力に優れるが、なにか話しかけるとドギマギして答えられない」とか(爆)
なかなか怪しい小学生であったことが判明いたしました。笑
「柔軟な思考力に好感が持てるが、のんびりし過ぎてて成績に結びついていない」とかいうのもありました。爆
ま、そんな感じは今も変わらない気がします。
しょうがないです、学習障害だったので。はい。
学習障害者というのは、
学校教育がはじまってから、
先生に怒られるとかはとても慣れています。
だいたい、理不尽だなと思う目に散々にあっています。
でも、その経験がものすごく生きているのですよ。
踏まれてもタダでは起きない強さみたいな、雑草みたいな感じです。
成績の良い子供は、馬鹿なことや羽目を外すことにとても抵抗があるんじゃないかと思います。
大人になってからそれをやろうと思っても、だいたいできないでしょう?
しかし、もともと愚かでバカな子だとか普通に言われてた人は、
最初から、他人と違う存在であることに慣れきっています。
あいつ馬鹿だなーとか、アホなんじゃないの?とか
そんなこと世間から言われることは普通なことで、
そこに真実がないことを身体の芯から知っているのですよ。
いい成績をとって、評価されてきた人は、
実は非常にスポイルされていると思います。
いい成績をとらないこと、評価されないことが恐ろしいことだと
身体の芯から思い込んでいるからです。
自分の子供に決してそんなことを教え込んではいけないと思います。
最初からそんなものを期待していない人間にとって、
生きることはもっと自由です。
斉藤ひとりさんが、ご自身が中卒であることを自慢していますが、
世間の評価されるサイクルから抜け出るというのは、
とても重要なことです。
それは、できれば、子供の時に小さい時に体験させたほうが良い。
私はいつも、そう思って子育てをしています。
「そんな、世間がつける評価に騙されてはいけないよ」と。
私は親にそう言われて育ったのですよ。
学校の先生が何と言おうと、
「お前は大丈夫だ」と、言われ続けて育ったのです。
自分で何かをしたいと思ったら、
他人の評価を気にしながらでは無理です。
就職して他人に使われて生きるならばそれでもOKですが、
自分で何か自営業でやっていこうとおもうならば、
自分で、自分に価値を感じない限り、
何かをすることが難しいと思います。
偉人の伝記を読んでいると
エジソンにしてもアインシュタインにしても
機関車を発明したスチーブンソンにしても、
びっくりすることに、ほとんどの偉人が、
子供の頃に小学校に行っていなかったり、
小学校の時に落第して、
学校を追放されていたりします。
実際にこの世を動かし、
人に影響を与えている人々というのは、
最初から、そうした社会のレールからはみ出した人達であったりします。
つまり、社会の枠組みからはみ出した人こそが、
この世を作っていると言っても過言ではありません。
親はなぜか、学校の枠組みに入れよう入れようと必死になる。
それは子供を無力で思考力のない人間になるように教育しているも同然です。
大人は、子供に、
学校の勉強というような、
外から与えられた課題に夢中になることではなく、
自分の内から湧き上がるやりたいことに
注目するように仕向けないといけない。
もし、教育というものがあるならば、
自分の内なる衝動や湧き上がるものが、
自分で発見できるように育てないとならない。
与えられてきたことをこなすことに夢中になってきた子供は、
いざ社会にでて、大人になった時、自分で何かをするというのは、
とても難しいことだと感じてしまうでしょう。
あと10年もすれば、冥王星が水瓶座にはいります。
その頃には、自力で生きる姿勢がないときびしい時代になるかもしれません。
一人の人間のもつ才能とか、
一人の人間のできる事というのは、
もっととてつもなく大きい気がします。
そうした能力を発揮するには、
枠からはみ出ていかないと。
積極的に、はみ出ていかないと。