これは心をうちました

今日から久しぶりに意識の旅講座を行います。
これは知覚を伸ばす練習会という名前だったものを
名前を変えただけです。
ご参加のみなさま、どうぞよろしくお願いします。 

そして昨日は、これを何度もみて、心打たれました。

小学生に入って先生に嫌われるって、それすごく良くわかります。
私もそうでした。いつも先生になんか好かれたことなんかありません。

「学問ちゅーのは誰かに評価されるものだったんでしょうか。
とんでもない間違いですね。
学問ちゅーのは社会の問題を解決するために、
人類が生み出したものなんです。必死になって築き上げたものなんです。
じゃぁ、教育ってなんでしょうか。
教育っていうのは、失敗の避け方とか、
責任の避けかったっていう、要領のいい生き方を教えるHOW TOでしょうか。 
ぜんぜんちがいますね! 
教育というものは、死にいたらない失敗を安全に経験させるためのものだったんです。
でも、それがすっかりおかしくなってしまったんです。 
なぜかというと、失敗をマイナスだと思っている大人がいっぱいいたからなんです。
その人たちがみんなの可能性と自信を奪って来たんです。」

私たちは、一体なにを子供たちに教えているんでしょうか。
生きる知恵というよりも、搾取の方法ですか?
人から評価されるという方法ですか?
人にすごいと言ってもらえる方法ですか?
人を見下すための方法ですか?
人より優位にたつための方法ですか?
世間体を気にする方法ですか?

それは人生を自分の足で立つための知恵というよりも、
全部が人を蹴散らすための方法ではないですか?

私は、そんなことのためならば、すべていらないと思います。

私も子供の親ですから、学校教育はとても身近な問題です。
そんなもの欲しがるなと、私は子供に言いますよ。
与えられた課題をこなすだけで評価された子供は、
人に評価されない事でも自分が心から欲することを頑張るということが
できるようにならないじゃないですか!
まず、自分が欲してることが何かさえわからなくなります。

それがわからなければ、これからの時代は生きていけません。
今までのようにはいきません。
天体をみれば、それがよくわかるじゃないですか。
学歴があれば安泰とかいう時代は、
もう音をたててガラガラと崩れる時代がもうそこまで来ています。

これからは自分が、何を生み出せるか、
何ができるのか、そこが問われる時代が来ます。
もう、それは、すぐそこです。

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