この前、河童先生が
「この世には愛されたい人と、必要とされたい人といるよね」と言っていました。
なるほどなぁ。。と思って聞きました。
確かに、ただ愛されることを求める人と、ただ必要とさることを求める人がいる。
「ただ愛されたい」という人は、
みんなのためになるようなことをすると、
愛されるより、必要とされてしまうので、
みんなのためになるようなことは、わざとしないとか(笑)します。
だって為になったら必要とされちゃって、ただただ愛されるってことがないから。
ただただ愛されるというのは、
みんなの為になるようなことを何もしなくても愛されるという状態。
赤ちゃんみたいな存在です。
だから、わざと為にならないことをしたり、わざと嫌がられることをしたり、
そうして、ただただ愛されることがあり得るのかどうかを、
証明したくて、
試して
実験して、
一生を過ごすということになります。
そういう人は、無意識ちゃんによってわざと病気になってみたりとか、するかもしれない。
病気でも、愛してねという心理がはたらく。
役にたたなくても、愛してねという心理がはたらく。
逆に、必要とされたいという人は、
たぶん、もう愛される経験は充分にしていて、
これ以上愛されるとかを必要としていない。
充分に愛された経験をもっていて、
それでも生まれてきた理由は、
何かするべきことがあるとか、
したいことがあるとか、
何かの為になりたいことがある、とか
そんな状態なのだろうと思いました。
ここの仕組みって大切だなと思いました。
ここが整理できてないと、いろんなことがごっちゃごっちゃ。
たとえば、心屋さんとか、努力はいらないし、するべきこととかいらないし、
みんな手放せば、500%上手くいくみたいな感じのことを言います。
たぶん、こういう人は愛されたい人。
ただただ、自分が存在するだけで愛されるということを証明したい。
だから、何もしないことを選択するし、
努力して手にしたこととかに価値を感じられないと思う。
何もしない、その状態で達成しないと、心が満足しない。
人が嫌がることをしても、
人のためにならなくても、
自由気ままにしても、
それでも、自分が愛される存在であることを証明するために生まれている。
タレントになる人とか、俳優になる人とかは、こういう希求があるのだと思います。
でも、必要とされたい人というのは、
ただ自分をしたってくるとか、ただ愛されるとか
何にもしてないのに必要とされるとか、
うざくてしょうがないと思うのね。
そういうの、もう、いらないんだけど、と思ってると思います。
だって、もう赤ちゃんの時に、幼児期に、そういうの体験してるし、
そこに新鮮味はないよね。
そうじゃなくて、
自分のやったことのが大切だし、
つくったもののが大切だし、
色んなものを生みだして、
この世にこんなものが必要なんじゃないか、
というような思想で動いている人がいる。
こういう人は、愛されたいのではなくて、必要とされたい人。
自分の能力を発揮して、クリエイトしたいのだと思います。
こういう、その人の根底に持ってる希求がわからないと、
その人の言ってる意味がわからないよね。
また、自分がどっちの人間なのかわからないと、
他人の事が理解できない気がしました。
河童先生が、商品とかでもあるでしょう?という。
ただ愛されたいとかだと、意味不明な壺に100万とかだし、(爆)
必要とされたいだと、こんなにすごいのに、100円だよとか(爆)
そういう感じだよね。