そのままであること

昨日は一日、個人的に大変に忙しい一日であった。今日も色々めんどくさそうである。
今朝はずいぶんと涼しい。涼しいではないか!

先日、何回かうちの練習会などに来てくださった方が、ご自身の臨死体験を記した記事があり、すごく衝撃で打ち震えた。「これすごいな」・・と思うと同時に、大変な癒しを感じた。ブログの記事で癒されるって、こういう事を意味するのだと思った。それには本物の体験があるからこそであり、上滑った言葉とは全く違う、これこそが本質的な癒しだ。

このブログ記事は読んでほしいけれども、読んでほしくない。(爆)なのでリンクは記載しない。その時期が来た人が、その時期に導かれて読んでほしいと思う。必要のある人が、必要のある時に読むべきなのだ。それだけ軽く扱ってほしくない記事だ。話題にされて「ああ、あれね」なんて言ってほしくない。体験を分析したりして欲しくない。だから、リンクは記載しないのである。

体験はそのまま、そのままで決していじらない。ピアノの演奏と同じである。演奏者は作品をいじらない。いじらないことに全力を燃やす。高次を受け取るというのは、いつもそうだ。入ってくるエネルギー、ビジョンをいじらない。限りなくいじらない。自分の解釈など、どうでもいいし、解釈なんて、どうとでもできるのだ。だが、それをしないと決め込んだとき、大いなるものがやってくる。

全托。

最終的に、人生はその言葉に尽きるのではないだろうか。

朝焼けがやってくることも、夕闇が押し寄せてくることも、本当にそのまま受け入れることができたならば、きっと私達はもっと膜のない本質的な美しさに出会うだろう。

今日は朝から雨。

庭の雑草が、よりいっそう生い茂りそうだ。(爆)
それもよしとせねばならぬ。それが人生だ。

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