人は時に犬となり、時に愚者となる。

昨日はおもしろいことがあった。

昨日の朝、
骨折してギブスをはめている長男を乗せて、
学校まで連れて行ってるのだが、
ふっと車を運転しながら、
急にビジョンに入った。

それは、エジソンとかアインシュタインとかが、
ああした発明や発見をしたときの、
そういう時の、意識状態?

意識状態というか・・・
そういう人たちが見ている世界のありよう?

みたいなものがふっと入り込んできて、

ああああああああ、なるほどぉおお!!と思ったのだ。

「ああ、なるほど、ここに入るのか。」
「ここに入って、ああするんだな。」

この世の物理的な物事を法則からつなげる方法がある。

私はそのビジョンに入りながら、
車を運転していた。
そして踏切で止まっていた。

すると、突然に歩行してた、サラリーマンの親父に怒鳴られた。
「ここは横断歩道だ!横断歩道に車を止めるな!」

私は踏切が下がったので待っていた。
車は普通に列になってとまっていた。
その私の止まったところに横断歩道の絵が描いてあるだろという。

わわ、このじじぃ、おもしろいことをいうな。
いままで何十年と車を運転してきて、
こんなことを言われたのは初めてだ。
じじぃはいかにも管理職っぽい、
偉そうなじじぃだった。

窓をあけて「じじぃ、死ね!」と怒鳴り返した。

じじぃの言ってることがどんなに正当であったとしても、
怒鳴られる筋合いなどないのだ。
不当な扱いには、そのままの姿で返す。
売られた喧嘩は買う。
私はいつもそれをモットーに生きている。

そして車を走らせ、

おもしろい!と思った。

じじぃは私が、
この世の物理を法則から掌握するそのレベルに
その意識世界に入り込んだ瞬間に怒鳴った。

あのじじぃは、境界線の犬なのだ。

人はこのようにして、いつでも監視しあっている。

そして誰かが境界線を越えようとすると、
ワンワンいうのである。

人は、
自分でもまったく無意識に、
時に犬となり、時に愚者となるんだな。

じじぃはいつも犬なのではない。
時に愚者となり向こうの世界を探求しにいく。
でも時には犬になる。

実におもしろい!!と思って朝のドライブを楽しんだ。

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