人は何にでもなれるのが本来の姿ではないだろうか。

私がこうした業界にはいって、5年くらいたちますが、

こうした業界というのは、スピリチュアル業界みたいなものですが、

(それ以前は、ピアノ講師が私のメインの仕事であった)

この5年間、この業界のいろんなセラピストを観察してきました。

セラピスト側、カウンセリングする側は、ブログを書いてたり、

発信してるので、観察しやすい。笑

それで、5年間、いろんな人をじっと、観察していきたけれども、

なんかね、「人って変わらないな」ってことを思います。

そして、その変わらない部分が、人生を作ってるし、運命を作ってるな、って思います。

その人が発してる核になる部分が、その人の人生を作っていて、

同じことを繰り返してるって、思います。

自分もそうだと思いますが、

誰もがそうだなと。

そしてね、人生に思いがけない予想外のことというのは、

ほぼほぼ起こらない、ということも発見です。

いや、俺は、ずっと予想外のことは起こるんじゃないかって思っていました。

なんか、予想外のすごいことって起きるんじゃないだろうかって。笑。

でも、まず起こらないです。

発展してる人は、発展するオーラをその前から放ってるし、

発展するオーラっていうか、情熱だよね。

情熱を放ってるし、

やたらに人に寄生して名をあげようとしてる人は、

やっぱり今でも人に寄生してるし、

根底にネガティブなオーラを放ってる人は、

やっぱりネガティブを体現してそのままネガティブ道を歩いてるし、

つまり、人生ってその人が思ってるそのまま、ってことだよ。

当たり前なんだ。

当たり前だけど、実際に目の当たりにすると、

ちょっと驚くんですよ。

人間は本来は何にでもなれる、というのが本来の姿だと思うんです。

何にでもなれるんです。

男にも女にもなれるし、

芸術家にも科学者にもなれる。

特別な知識なんていらないんです。

潜在意識が使えれば、

明日にでも芸術家になれて、

科学者にもなれるんです。

それが本当の姿。

妻にもなれれば、旦那にもなれるんです。

ピアノ講師にもなれれば、

ヒプノセラピストにもなれるんです。

しかも有能な。

その、本来の姿に立ち戻ることが、

本当はすごく大切なことのように、

昨日は思ったんだよね。笑。(昨日かよ)

で、そうした本来の姿に立ち戻ることって、

そんなに難しいことじゃないように思ったんです。昨日。

ただ、心を肥やしておかないと無理なのかなとは思いました。

心を肥やす方法が、信仰心だと思います。

信仰心ってすごいなって思うんです。

ま、カルトとか、盲信とか、ああいうのではなくて、

普通な信仰心ね。

シュタイナーにしても、ケイシーにしても、ノストラダムスにしても、

基本的に信仰心というものが、色濃いでしょ。

シュタイナーとか神に祈る言葉とかを無数に考えてるでしょ。

ああいう人たちは、

神に祈るという時間を毎日とって、

神という概念について、日々考えていたから、

つまり、それってどういうことかというと、

人間を超えた存在に思いをはせる時間を毎日取ることによって、

神の思考になってるんですよ。

神について考えてるうちに、神と一体化してるわけで、

その視点からでは、

何にでもなれるはずなんですね。

この世の仕組みについても、ががっと情報入ってくるし、

あたりまえですよね。

そんなのあたりまえですよ。

それが、普通の本来の人間の様相であって、

どうして、その状態にいないのかが不思議だなって思ったんです。

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どうして、その状態にいないのかが不思議、というのは、

よくかんがえたら、子供の頃からおもってたなと思います。

でも、そのうち、何にでもなれる人が、だんだんでてきて、

どんな条件でも何にでもなれるんだよっていう人が、

どんどんでてきて、

そうすると、

この世はあっという間に違うところに行くんだろうと思います。

よく、インド人が、ライオンになったりとかするけど、

そういうレベルがあるんだよね。

あれも絶対的に信仰と関係していますよね。

信仰はすべての鍵だと思います。

(信仰って言葉が的確かどうかわからないけれども、

他に言葉が見当たらないから、信仰と言っておきます)

今は、普通の我々は

輪廻のシステムを使わないと、

それを発動できないけど、

(一回死んで、生まれなおさないとできないけど)

そうじゃないレベルもあるんだろうなと思います。

でも、輪廻のシステムをつかえば、

君も僕も、ライオンになったりできるんだヨ。

おもしくね?

おもしろいよね。

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コメント

  1. 宮浦千恵 より:

    谷原さん、おはようございます。
    今日のブログ、まったくその通り!と思いました。
    関連記事のトップに、2014/1/20の
    “一度死んだ女性が見たものと出産”
    を読もうとして、まずyoutubeをクリックしたら、
    何かが消去されてて、見れませんでした。

    気をとりなおし、見てびっくり。

    今来日中のネイティヴアメリカンのリーダー
    デニス・バンクスが話してました。 おととい。

    サンダンスのことです。
    4日間、食べず、飲まずで胸の肉を
    木に繋ぎ、肉が引きちぎれるまで
    踊るものです。

    サンダンスは、自分を献げる踊りと
    思っていましたが、

    これは女性の出産を に敬意を払い、
    出産を体験するためのものだったのです。

    出産で死の淵にまで行く体験です。
    女性になるために、スカートを履くそうです。

    私は2人目のお産の時、胎盤剥離で
    危なかったですが、そんな意味深いとは
    知らなかったです。

    あと、子供はぜったいほしいと20代の時、思ってました。

    その頃、女優の秋吉久美子が、
    「わたし、こどもを卵で産みたいの」
    と発言し、話題になってました。

    今は無痛分娩で産めるけど、昔は命がけですから。

    デニスが、
    “女性には敬意を払う。何故なら
    女性はいのちを生み出すことができるからだ。”

    とも話してました。

    谷原さん、昔の記事でも深いことが出てて
    気づかされます。

    (今のは、タイムリー)

    もう11時になってしまいました。
    書くのに時間かかり過ぎ・・・

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